2013年10月03日

物件所有者様、施工業者様のご縁と感謝

今回の復元プロジェクトは多くの人に支えられています。その中でもまさに一緒になって取り組んでくださっているのが、当たり前のことですが物件所有者様と施工業者様です。

物件所有者様とも不思議なご縁でした。物件を最初に見つけてくださった方もよくご存じの方でした。単なる貸主・借主の関係ではなく、直接お会いできて何度も何度も色々と意見交換させていただけたのも、Tの知人の会社が物件所有者様の会社とお取引があったからです。初めて伺った時にはTが大好きな作家様とも関係が深いことを知り、感銘を受けたものです。今ではこの方のご支援なしにこの事業は開始できないと痛感しております。頭の回転、ふるまい方から学ぶところも多く、そのご人脈から様々な方とのつながりもバックアップいただいております。

施工業者様と知り合ったのは、私が携わった映画「はんなり」がご縁でした。映画撮影にご協力いただいた方が町家でご商売をされていて、ご自身の町家を修復した際に依頼した先が今回の業者様でした。これもTがたまたまお会いした時に町家への関心の話をしたのがきっかけで「ほしたら、うちをやってくれはったとこを紹介しま」と粋な計らいでおつなぎいただけたのです。まずは町家のことをいろいろ勉強させていただき、今回のプロジェクトがまだまだどうなるかもわからない段階から色々とご相談に乗っていただきました。そして今、物件所有者様にもご納得いただき、復元はこの施工業者様にお預けしております。余談ですが、今回の設計士様、施工業者様、私、三人とも名前に「圭」の字が入っています。初めて三人で名刺交換させていただいたときはほくそ笑んだものです。

物件所有者様、施工業者様、そして私たち、それらの思いを乗せてこのプロジェクトは走り出しました。
posted by 奥田圭太 at 19:59| Comment(0) | TrackBack(0) | The terminal KYOTO | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月01日

物件との出逢い

その物件は突如として現れました。

私が懇意にしている社長様に行政に行ってきた感想を日常会話の中でしていました。私がやることにはなんでも親身になってくれる方でこのときも「そうか〜、面白いけど大変やなあ。大型の物件なんてどこにあるかなあ」と真面目に考えてくださりました。そのときはお互い不動産畑でもないので、ましてや古民家となればなおのことで雑談の域を出はしませんでした。

ところが数日後、突然その社長様から連絡が来ます。「すぐそこに大型の町家があるみたいで、売りに出るかもって聞いたで」と。灯台下暗しでしょうか、京都オフィスから本当にすぐの場所でした。外観を見ただけで私は運命を感じてしまいました。

しかし、このときはまだ、大型物件で何かできないかと考え始めたばかり。購入するには億単位の資金も必要ですし、借りるにしても改装費も莫大、そもそも借りて何をするよ!?という状態です。それでも運命を感じてしまったのです。市内の中心地ですから、売りに出てしまったら不動産業者が買ってマンションかホテルにでもなってしまうではないか。そんな危機感もあってすぐにTに連絡し、資金のことなど考えずにその物件を押さえるために動くことに決めました。

それから伝手を頼って不動産会社通じて物件の内覧をさせていただき、これまた偶然の伝手が表れて物件所有会社の代表者様に直接プレゼンさせていただく機会も得ました。ここからは縁故だけでどんどんとつながっていき、当初懸念していた問題も忘れてしまうくらいにその物件に吸い寄せられていきました。関わる人それぞれが運命を勝手に感じていたに違いありません。

私はこの物件を初めて内覧した日を今でもはっきり覚えています。2012年12月のことです。

表からは想像もつかない奥行。そして鬱蒼とはしていたものの立派な庭。ただまっすぐに伸びる小路。表から廊下を伝って庭に抜けるまでのその風が抜けていくのを肌で感じる1階。2階の和室から見下ろした岩戸山の風景。そのすべてが貴重であり愛おしいものでした。
posted by 奥田圭太 at 23:44| Comment(0) | TrackBack(0) | The terminal KYOTO | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

物件選びの勘違い

思い起こせばちょうど1年前です。

2012年10月頃、Tと私は「いい歳になってきたし、そろそろ京都に何か恩返ししないとな」というのが口癖になってきていました。お互い事業ではそれなりに飯は食べられているし、純粋に京都で何かに取り組みたい、そんなことを漠然と考えていたとき、Tから「町家守れないだろうか」という言葉が発せられました。この言葉がきっかけで2012年11月からこのプロジェクトはスタートします。

当初、私たちが考えていたのは狭小物件など空き家として放置されている物件を我々の資金で復元して「長期宿泊型(生活型)旅行プラン」を提供するというもの。その旅行代金を町家持ち主とシェアするというものでした。空き家になって放置されているものはどんどんつぶされて景観も何もボロボロになっていく、そこを自分たちで何かできないか、と思っていたのです。

しかし、この短絡的思考はすぐに覆されました。2012年11月に行政機関などにヒアリングに行ってみると、大型物件にこそ困っているというのです。理由は(1)狭小物件は言っても規模が小さいので改修資金を行政としても助成できる規模(2)狭小物件は規模が小さいので流通しにくい。転売しても買い手が付きにくい。そのまま使えない、壊して建て替えるにも狭小で用途が限られる。というものでした。他方で(1)大型物件は行政で助成するにも規模が大きく、結果的に所有者負担が大きい(2)大型なので土地価値として流通しやすくマンションや駐車場にするなってしまう。というものでした。事実、大型物件ほどなくなっていっているのです。

大型物件ほど所有者が困っていて、行政としても支援しきれない。じゃあ、私たちでやろうじゃないか。

ここから私たちは考えを一新して理念から事業プランからすべてを白紙に戻して考え直します。併せて行政だけでなく民間の方や京町家を実際にご利用の方や工務店の方にもヒアリングを実施します。

そして、まだ漠然としていたとき、物件は突如現れます。
posted by 奥田圭太 at 13:17| Comment(0) | TrackBack(0) | The terminal KYOTO | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月30日

京町家物件概要

まずは今回復元する京町家の物件概要を記しておきます。

物件所在地:京都市下京区新町通仏光寺下る岩戸山町424
敷地面積:469.77u
建物1階:234.54u
建物2階:198.70u

京都市内中心地「四条烏丸」から西に2本・南に2本に位置する「新町仏光寺」を南に下がったすぐ。市営地下鉄四条駅、阪急京都線烏丸駅、各種バスの四条烏丸駅からも徒歩で5分程度。オフィス街でもあり、昔の呉服屋界隈でもあり、観光ホテルが多数ある場所でもあります。

建物の詳細はわかりませんが、昭和初期(6〜8年頃)に建てられたものと推定され、ご多聞に漏れず呉服屋が営まれていたようです。入り口付近は呉服の展示や売買が行われ、中腹より奥は従業員さんたちが住まわれていたのか住居としても活用されていたようです。反物は高価だったでしょうから、京町家にはそぐわない金属系の強固な金網が入り口付近を守っています。土間であったであろう場所も展示販売用に板間にされているようでもあります。そこかしこに反物をしまっていたであろう棚も散見されます。
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写真は復元前のものです。祇園祭の時に撮影したので御覧のように目の前に岩戸山という山鉾が聳え立ちます。岩戸山保存会の住所になっているような場所です。

今回はこれをさらに京町家として復元いたします。金属系のものも取っ払い、土間に戻すものは戻し、外からも中からも生活を感じていただけるものにします。リノベーションではありますが、「本来の姿に戻す」が基本コンセプトです。構造はそのままにしてライフラインは刷新しますが、手に触れられる場所などはできるだけ今のままを残して感じていただけるものにします。

昔から残る知識と知恵、職人の技、これらの象徴として京町家を復元し、継承×イノベーションの第一歩としたいのです。
posted by 奥田圭太 at 14:16| Comment(0) | TrackBack(0) | The terminal KYOTO | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月26日

再開します

いきなりですが、Blogを再開します。

一番の理由は、時系列で残しておきたい事柄ができたことです。些細な理由は、およそ9か月のTablet生活から卒業しノートPC生活に本日戻りましたのでキーボード入力で文字数を打つことが苦ではなくなったからです。

現在、京町家の復元を試みています。京都市のど真ん中で大型物件を復元しようと昨年末からあれこれ試行錯誤し、いよいよ来春公開に向けて本格的に動き出しました。そこでどんな事業を行うかはまたの機会として、この物件とどんな思いで出会い、どんな姿を目指して、そしてどんな過程を経て出来上がっていくのか。これは様々なものの継承の意味も込めて、残せるものは記録として残すべきと考えました。実際に静止画の撮影はもちろん、工期中は職方さんたちの思いも含めて動画の撮影も敢行しております。ここではBlogという形でその過程をお伝えしていければと考えています。

さて、時系列で残したいことは明日から本格的に投稿していきますが、まずは最近のドタバタを時系列に。

台風18号が猛威を振るった京都ですが、その日16日、私は東京への移動でした。嫌な予感がしたので前日終電でと考えたりもしたのですが結局翌日朝にしてしまい、まさにあの渦中に巻き込まれました。朝6時過ぎに京都駅に着きましたが新幹線は運休状態。7時過ぎに動き出したのですが、米原までちんたらちんたら進みつつ止まりつつ、米原で再び運転見合わせ1時間、続いて岐阜羽島でも運転見合わせ1時間、名古屋に着いたら静岡止まりに変更。静岡で在来線に乗り換え・・・、キリがないのですが、最後は東京の通勤ラッシュのようなこだまで片足立ちのまま夕方5時に東京到着。東京に行った理由は歌舞伎の観賞だったのですが、到着遅れで昼の部は丸ごと観られないところでしたが、中村屋さんの神対応で翌日昼の部に振り替えていただきました。お外は気持ちいいくらいに晴れていました。

翌日から仕事も終えて、20日金曜には件の京町家が本格内部解体を開始。町にも挨拶をして回り、いよいよ本番です。

22日には毎年恒例の梅小路公園で京都音楽博覧会。奥田民生さんにただただ感動し、英気を養いました。その後は現場に入ったり、3時まで飲んだりしてで今に至ります。

久々なのでただの日記です。明日からはきちんと京町家をレポートしてまいります。
posted by 奥田圭太 at 19:14| Comment(0) | TrackBack(0) | ページのこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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