2005年12月31日

京都の伝統に思う5〜職人の背中〜

短かったですが、答えにはたどり着けませんでしたが、いまだに葛藤の中にはいますが、私の今の思いは書いてきました。皆さんにとっての勉強というよりは、問題提起や考える機会になればいいと思っています。せっかくなので自分で考えてみて、それなりの自分の考えを持っていただけると幸いです。

さて、最後に今回の取材経験で私が最も印象に残っているものを書き記しておきます。

「職人さんの背中を想像して下さい」

職人さんが黙々と仕事をしています。いい仕事をしています。
音だけが響き、その方の表情は見えません。
声をかけてもきっと振り向いてくれないでしょう。
その一生懸命さを背中だけが訴えます。

いつでもそうです。優秀な職人は、自分を信じ、いい仕事をしたいと切に願い、ただただ一生懸命に、脇目も振らず、ただただその仕事(手先)だけに集中してきたのです。

ある経営者の方(職人気質・先生)が「職人はそこだけを見て必死に仕事をしているのです」とおっしゃいました。ここに伝統産業の全てが集約されているように思います。私はこれを映像化したいとさえ思いました。

伝統産業の現状は、職人なのです。

伝統産業は職人が担っています。
伝統産業の経営者も職人です。
そして、伝統産業も職人なのです。

美しいだけに悲しいことに、自分の手元だけで一生懸命なのです。
posted by 奥田圭太 at 22:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 特集コラム:伝統 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月29日

京都の伝統に思う4〜科学技術と伝統技術継承〜

伝統産業の根幹をな成す技術とはどういうものなのでしょうか。

職人の伝統技術は人間にしかできないという神話がございます。
今の技術であればどんな伝統技術も再現可能という神話がございます。

どちらもある一定の範囲で真といえるのでしょう。

金型の職人さんにお聞きしましたが、CADで測りCADで作ってもなぜか手で触ったり光に当てると反射で少し違うことがわかるそうです。CADで測りなおすと合っている。でも違う。最終手作業で補正するそうです。
ある大学の先生にお聞きしましたが、いかなる過去の技術も現代科学技術による解析で製法・技術を探り当てることは可能なのだそうです。ただそれを手作業レベルで真似できるかは不明。

日本の技術承継最大の課題は一子相伝・口伝であったと言われています。つまり、簡単に途絶えてしまい、途絶えたものの復活が極めて困難。復活させようにもいわゆる「レシピ」がないからです。

しかし、上記の職人さん、大学の先生のお話から考えればその課題は解消されます(可能性があります)。現代科学技術によりいわゆる「レシピ」が作ることが可能です。あとはいわゆる担い手の問題ですが、現在の日本には職人は生きています。

今後の課題は伝統技術承継よりも担い手の承継なのでしょう。

現在の日本は大学卒業後に職業選択をする、仕事の世界に入るのが当たり前のようになってきています。しかし、伝統技術は大人になってから身につけることは困難なものもあるようです。昔において承継可能にしていたのは丁稚制であり、まだ筋骨が柔らかい時期から身につけようとする機会があったことが大きな要因と言われているようです。そういう意味ではスポーツと似ているところがあるのかもしれません。職人の世界もそういう肉体のつくりから適合していくことが必要なようです。

担い手の承継にはそのことの理解とその仕組みが必要なのでしょう。

posted by 奥田圭太 at 09:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 特集コラム:伝統 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月26日

京都の伝統に思う3〜職人と経営〜

伝統産業はどのようにして残るのでしょうか。
伝統産業はどのようにしなければ残らないのでしょうか。

このことをある程度明確にするきっかけにならないかと2日間を設けたと言っても過言ではありません。つまり、全ては仮定から始まりました。
日本の伝統産業は実は気づいていないところで発展しているのではないか。たとえば、この素材は日本の伝統技術を使っています。(ある最先端技術には伝導性や耐久性の理由で和紙が活用されています。)(ある最先端技術で活用されている潤滑油は日本の江戸時代から続く油です。)たとえば、この最終工程は伝統産業を担ってきた職人にしかできません。(ある最先端技術の会社はフルオートメーションですが、最終工程で職人が手作業で削りを入れます)そのようなものはもっとないかということです。

そして、実際に見て、話を聞いてみた私なりの見解です。

職人と経営者を明確に区別しない限り産業界に伝統は残らないであろう。

不況と言われる伝統産業のほとんどが職人さんの延長が経営者です。つまり技術の話はいくらでも出てくるし、こだわりもあるが、資本主義を嘆くだけです。なんとか生き残ろうという経営者意識はあるものの、どうしていいかわからないという経営者です。前の章のARTとINDUSTRYと同じ理屈です。技術を高めることでしか生き残る術を知らず、時代性や変革性には及ばないのです。
こうなってくるとマーケット次第です。マーケットが、需要がなくなればなくなるしかないのです。マーケットが技術の向上よりも効率化・コストダウンを求めれば海外に拠点が移ります。

伝統産業が生き残る道は、職人が経営者に身を委ね、伝統技術として生き残るしかないのです。

職人が最先端技術研究者のように大手企業の一部門を担う。有能な経営者が伝統技術の変革、新たなるマーケットでの活用を発展させる。有能な経営者がマーケット規模を把握し、最適化を実現する。

ARTとしての伝統技術をここでは考えないとしたとき、あくまで今回の趣旨にのっとって伝統「産業」というINDUSTRYを考えたとき、私なりの今の結論と葛藤はこのようになります。

そして、このことに早く気づかなければ、産業の中で人間にしかできない技術が継承されずに消え行くことをただ憂うばかりです。
posted by 奥田圭太 at 02:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 特集コラム:伝統 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月21日

京都の伝統に思う2〜ARTとINDUSTRY〜

伝統産業はこの日本で残るのでしょうか。
伝統産業はこの日本で残すべきなのでしょうか。

このことについては産業界・芸術界・学術界で様々な見解があると思います。たとえば、伝統産業は時代の中で不必要になれば資本主義に淘汰される(べき)。たとえば、伝統産業は高い技術力があり、時代に応じて新しい分野で残る(べき)。たとえば、伝統産業は担い手の不足により、成立し得ない。海外に移る(しかない)。たとえば、伝統産業は日本の文化であり、その高い芸術性は保護する(べき)。たとえば、伝統産業は日本人の特性を反映しており、海外には移りえない(はず)。たとえば、伝統産業は現代の最先端技術で解析・再現可能である(はず)。

これらの諸説は全て正しいように思われます。
ただし、全てに大きな矛盾をはらんでいます。
矛盾と言うよりも根本的な葛藤と言うべきでしょうか。

伝統産業とはARTなのでしょうか、INDUSTRYなのでしょうか。

産業である以上はINDUSTRYであり、資本主義の中で変革が求められるでしょう。そうなれば効率化・コストダウンの中で機械化・海外拠点移動は求められるでしょう。そうなれば高い技術力は他の分野へ進出するような革新が求められるでしょう。
一方で伝統産業を思い出すとき、多くの人はときにその美しさに魅了され、そこに「日本」を感じ、そこに高い芸術性を見つけることでしょう。そうなれば日本の文化ARTとして保護するべきという議論が生まれるでしょう。
一方でARTは保護するものではなく、時代とともに変化するものであり、そういう意味で今の伝統産業は新しい「日本」文化の形成を阻害しているのでしょう。

つまり、伝統を捉えるときにはそもそもの前提を見直す必要があります。

伝統産業というフィールドに出たときはやはり資本主義の論理の中で生き残りの競争にさらされます。その中で生き残っていくには上記のように効率化か変革に対応できなければ消えていきます。資本主義の論理で保護はありえません。(この議論は次の章でもう少し考えてみたいと思います。)
伝統芸術というフィールドに出たときはやはり芸術として資本主義の論理から外れた変革にさらされます。逆に言えば、資本主義の論理から外れ、「日本の独自性」「芸術性」を追求しなければ伝統芸術とは言えません。つまり、資本主義から距離を置くための必要範囲内の保護で、時代とともに更なる高みに昇華していかなければなりません。

今後は伝統「産業」と伝統「芸術」の明確な区別から始めたいと思います。そこを整理したうえで物事のルーツを追究することは本当に面白く、興味は尽きません。
posted by 奥田圭太 at 08:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 特集コラム:伝統 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月16日

京都の伝統に思う1

昨日、本日と中小企業庁のお仕事を手伝っておりました。

経済産業省の方、中小企業総合研究機構の方、東京のシンクタンクの方とずっと一緒に過ごしていたのですが、本当にいい刺激を受けました。また、その中で多くの伝統産業や現代科学技術に携わる方からお話を聞く機会も持てました。伝統と現在科学技術の現在を目の当たりにしたのです。これがまた本当にとてつもなくこの上なく面白く、その一方のものすごい葛藤と自分の知識不足による自信喪失で頭が沸騰しております。

せっかくなので、今日の出会いと経験で私が感じた「伝統」「現代科学技術」「今後の可能性」についての葛藤を思いついたことから順次残していきたいと思います。

私の足りない知識の中で感じたことなので、まだまだ洞察とも言えず、意見とも言えず、ただの感想に終わるかもしれませんが、このブログを読んでくださってる皆さんにも考える機会となれば最高です。
posted by 奥田圭太 at 22:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 特集コラム:伝統 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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