まだ設立間もない会社はその求心力・急伸力が求められます。そのときに必要とされるのが矢印でいうなれば「細く尖った矢印」です。全員が一つのものに向かってがむしゃらに一致していなくてはなりません。小さな小さな一つのものに向かって一点集中でぶつかっていくことが必要となるからです。まさに一丸です。できること(得意なこと)に向かって社長という求心力のあるものに必死で食らいついていく感じです。その段階では全員が役割関係なく全てのことをやり、全てのことに一緒にあがかなくてはいけません。
ある程度会社が大きくなってくると、次は役割の分担とビジョンが生まれてきます。ビジョンと方向性が示され、その中において個々人が求められる役割の中で自主性を発揮して動くことが求めれれます。矢印でいうならば「少し太い矢印」です。少し太い矢印の範囲内で細く尖った矢印(各部署)が実力を発揮するのです。同じ方向性を目指している各部署がその中で自己を持ち始めるのです。この段階では社長はプレイをするのではなくビジョンを示すことが求められ、その中で各部署が自己を持って役割の中で必死であがかなくてはいけません。会社にも「自分とは違う人間」というものへの理解が求められ、そういう人財を生かすことが求められます。逆にいうなれば、そういう人財のおかげで自分たちができなかったことができるようになったりするのです。
更に会社が大きくなると、役割の明確化とマネジメントが生まれてきます。この段階になると急伸力よりも安定成長が求められ、企業としての度量が求められます。矢印でいうならば「太い矢印」です。その太さ、受け入れられる人財の幅がその企業の器です。必ずしも一丸となっていないが方向性は同じ、少なくともその企業へコミットしている人財に対してマネジメントすることが求められるのです。自分の価値観に無理矢理求心するのではなく、大きなビジョンを提示し、その中で役割の明確化という度量で個々人のできることをするフィールドをマネジメントするのです。「自分とは違う人間」というものへの許容が求められるのです。これができてくると受け入れられる人財の幅は広がり、また会社の幅もそれに合わせて広がります。まさに公共の器に近づくのです。
会社の成長段階によって求められる人物像は変わります。そこで求められているのは人財の成長ではなく、もしかしたら会社側の度量の広がりなのかもしれません。会社の規模が大きくなるにつれて、活用できる人財の幅も広がらなくてはそれ以上大きくなることは不可能だと言っても過言ではないでしょう。しかし、そのどの段階においても一貫性を持っていなければいけないのがビジョンであり方向性なのです。そこに一貫性がないと会社は前の段階に戻ってしまいます。新しいビジョンでイチから始めなければいけないのです。
そうやって考えていくと、会社の成長とは、当初から示していた細く尖った「矢印がその方向を変えないままに太くなっていく」こと、なのかもしれません。