目標を立てたがる人がいます。数年後に○○と大きな目標を立てては過ぎ去っていきます。あるいは毎年のようにその目標は変更されたり、気分が変わってあっちこっちへ飛び回ります。
目標を立てるのを嫌がる人がいます。根拠もなく目標を立てることは無意味だと言います。あるいは目標やノルマはプレッシャーやストレスであり、やる気や楽しさを減少させると言います。
目標とは作るものです。
根拠のあるものは見込みであり、それはやるべきことをやれば達成されます。大切なことは成長することです。だからこそ目標を仮説から作ることが必要なのです。見込みに仮説から生まれるであろう成果を加えたものが目標です。
目標の意義は検証することです。
目標は掲げたら終わりではありません。やるべきことをやって見込みを達成し、仮説をやりきって検証するのです。大切なことは検証を経て、仮説を根拠として固めることです。その根拠が確固たるものになれば見込みは上昇し、さらなる仮説を立てて目標を作ることができます。目標の達成ではなく、目標と結果のギャップを把握・検証して根拠を作ることが、目標を作ることの意義なのです。それは仮説を立てることとそれをやりきることで成しえます。
目標とのギャップに意味があるのです。
下回った場合はもちろん上回った場合も検証は必要です。目標と一致しなかったということは仮説にズレがあるのです。そこに根拠と次なる仮説を立てるための課題が存在するのです。そのギャップを把握することが第一歩なのです。逆に言えば、目標を作らなければそのギャップは存在しえず、ただの結果論で何も生まれず次にもつながりません。
つまり、目標は作るものであり、結果をもってはじめてギャップという意味を持ち、検証を通じて成長の源泉となるのもなのです。
2008年06月21日
2008年06月17日
為になる話
「ためになる(なった)」「ためにならない(ならなかった)」という判断があります。これは研修や勉強会や読書など、あるものを求めて吸収しに行く、という姿勢を示す対象に対してよく使われる言葉です。
「為」には役に立つという意味があるので、多くの場合求める「あるもの」とは知識や知恵・経験を指します。それが自分の求めているものなのかどうか、あるいは自分の関心のあるものなのかどうか、自分の関係する事柄かどうかという「自分に密接につながりがあるか」という自己都合で判断されるものです。
そういう意味ではどういうものを提供するかや行われる内容がどういうものかでためになるかどうか判断されるのではなく、受け手にとってどうかということで判断されるのです。発信者の優劣ではなく、受け手主体のあくまで判断なのです。
逆に言えば、受け手次第でもあるのです。「ためになる」ものを求めるのではなく「糧にする」のです。仮に遠く離れたものであったとしても今の自分にいかに照らして結び付けて考えられるかです。あるいは反面教師として自分を確認できるかです。発信者から物事を受け取るということは他者や社会との接触であり、自らを省みる格好の機会なのです。
自分に関係ない関心がないと捨て置いてしまうのは容易なことです。ですが、そこに関係性を持たせ、言葉を置き換え、自分の糧としていくことができれば何でも「ためになる」ものへと変貌します。何事からも大切なものを吸収していくことができるのです。
昨日お会いした方が「自分と領域の違う人こそ大切な人脈だ」とおっしゃっていました。そういう人が世界を広げていくのです。
「為」には役に立つという意味があるので、多くの場合求める「あるもの」とは知識や知恵・経験を指します。それが自分の求めているものなのかどうか、あるいは自分の関心のあるものなのかどうか、自分の関係する事柄かどうかという「自分に密接につながりがあるか」という自己都合で判断されるものです。
そういう意味ではどういうものを提供するかや行われる内容がどういうものかでためになるかどうか判断されるのではなく、受け手にとってどうかということで判断されるのです。発信者の優劣ではなく、受け手主体のあくまで判断なのです。
逆に言えば、受け手次第でもあるのです。「ためになる」ものを求めるのではなく「糧にする」のです。仮に遠く離れたものであったとしても今の自分にいかに照らして結び付けて考えられるかです。あるいは反面教師として自分を確認できるかです。発信者から物事を受け取るということは他者や社会との接触であり、自らを省みる格好の機会なのです。
自分に関係ない関心がないと捨て置いてしまうのは容易なことです。ですが、そこに関係性を持たせ、言葉を置き換え、自分の糧としていくことができれば何でも「ためになる」ものへと変貌します。何事からも大切なものを吸収していくことができるのです。
昨日お会いした方が「自分と領域の違う人こそ大切な人脈だ」とおっしゃっていました。そういう人が世界を広げていくのです。
2008年06月10日
時間の幻想
長い思考、長い議論、長い会議、長い確認・・・長いという言葉には長時間をかけるという意味が含まれています。そしてその「かける」は「かけるべくしてかかった」のか「(結果として)かかってしまった」のか「かかっただけ(浪費)」なのか。
時間が長くかかるというものには物理的なものと心情的なものがあります。物理的なものは避けようがないとしても心情的なものは省くことが可能です。
心情的なものを省くことができるのは決断や判断という意思です。しかし、その意思が働かず、もしくは放棄することで物事は長引くことがよくあります。あるいは意思が逆に働くことでむしろ長引かせようという動きもあります。それは長い時間をかけたものはいいものだという「幻想」です。
考えれば考えるほどいいアイデアが出る、話し合えば話し合うほど納得しあえる、わかりあえる、というのは幻想です。どれだけ考えても、どれだけ話し合っても最後には何かを選ぶことになります。そこには意思が必要であり、何かを選ぶということは何かを捨てることです。
つまりは長い時間を意思なく闇雲にかけることは拡散していくことであり、どんどん焦点がぼけていくこと、選択肢が増えるだけ増えて余計に決断が下せなくなるだけなのです。責任や諸々全ての所在をぼかしあやふやにするだけなのです。長い時間を尊重する幻想は、意思や責任の先送り、逃避・放棄であり、それを正当化する言い訳に過ぎません。
大切なことは、ある一定の段階で踏ん切りをつけ、意思を持って決断し、その選択を責任を持って実行するということです。
時間が長くかかるというものには物理的なものと心情的なものがあります。物理的なものは避けようがないとしても心情的なものは省くことが可能です。
心情的なものを省くことができるのは決断や判断という意思です。しかし、その意思が働かず、もしくは放棄することで物事は長引くことがよくあります。あるいは意思が逆に働くことでむしろ長引かせようという動きもあります。それは長い時間をかけたものはいいものだという「幻想」です。
考えれば考えるほどいいアイデアが出る、話し合えば話し合うほど納得しあえる、わかりあえる、というのは幻想です。どれだけ考えても、どれだけ話し合っても最後には何かを選ぶことになります。そこには意思が必要であり、何かを選ぶということは何かを捨てることです。
つまりは長い時間を意思なく闇雲にかけることは拡散していくことであり、どんどん焦点がぼけていくこと、選択肢が増えるだけ増えて余計に決断が下せなくなるだけなのです。責任や諸々全ての所在をぼかしあやふやにするだけなのです。長い時間を尊重する幻想は、意思や責任の先送り、逃避・放棄であり、それを正当化する言い訳に過ぎません。
大切なことは、ある一定の段階で踏ん切りをつけ、意思を持って決断し、その選択を責任を持って実行するということです。
2008年06月04日
知っている人を知っているということ
物事はその道の人に教わるのが一番早く、正確です。
今はインターネットやテレビ・新聞・本などあらゆるマスメディアから情報は安易に手に入ります。ですが、その真贋を見分けることは容易ではなく、いつの間にか盲目的にそれらを信じ込んでしまっています。「テレビでやっていたので」「ネットで見た」などの情報源であたかも事実のように話す人の姿がそこかしこで見られます。根拠が「事実や実態」ではなく「メディア」なのです。
最近、特定の分野に長けた人に接することが重なりました。目から鱗という体験はこのことなのかと驚きました。自分の多くの勘違いや知ったかぶりを痛烈に反省することになったのです。そして多くのことを短時間で学び知ることができました。
自分の信じたい情報だけをいつの間にか選んでいたのかもしれません。表面だけを知って、あとは想像を都合よく詰め込んでいたのかもしれません。おそらく誰でもあることなのでしょう。無意識に情報を選ぶというのは潜在意識で能動的に情報を選んでいるのです。
物事を知りたいとき、その道の人に聞け。中途半端な情報をかき集めたり、中途半端な幻想を描くよりも、その道の人に聞く、これが一番の近道です。
人から教わるよりもマスメディアから情報を収集するほうが確かに容易です。その人を知っていなければいけないですし、謙虚な姿勢でお願いしなくてはいけません。ですが、容易であるというのはそれだけ結果もそうであるということです。
知っている人を知る活動をする。謙虚な姿勢で人から学ぶ。それを繰り返すことが物事を知るということです。何よりも知っている人を知っていて、いつでもその人に問い合わせができるというのは何よりも強い武器となることでしょう。
私が個人でやっている勉強会・交流会「びびこむ」は、そういった知っている人を知る、自分の知っているものを提供するという『知識・知恵を共有・継承するための人財の輪』を目指しています。講師も生徒もないのはそのためです。実際、そこで知り合った人に気軽に電話で問い合わせができるのはありがたいことです。最近、特に痛感しています。
びびこむ公式ホームページ http://vivi-com.jp/m/
次回告知 http://vivi-com.jp/m/3.html
今はインターネットやテレビ・新聞・本などあらゆるマスメディアから情報は安易に手に入ります。ですが、その真贋を見分けることは容易ではなく、いつの間にか盲目的にそれらを信じ込んでしまっています。「テレビでやっていたので」「ネットで見た」などの情報源であたかも事実のように話す人の姿がそこかしこで見られます。根拠が「事実や実態」ではなく「メディア」なのです。
最近、特定の分野に長けた人に接することが重なりました。目から鱗という体験はこのことなのかと驚きました。自分の多くの勘違いや知ったかぶりを痛烈に反省することになったのです。そして多くのことを短時間で学び知ることができました。
自分の信じたい情報だけをいつの間にか選んでいたのかもしれません。表面だけを知って、あとは想像を都合よく詰め込んでいたのかもしれません。おそらく誰でもあることなのでしょう。無意識に情報を選ぶというのは潜在意識で能動的に情報を選んでいるのです。
物事を知りたいとき、その道の人に聞け。中途半端な情報をかき集めたり、中途半端な幻想を描くよりも、その道の人に聞く、これが一番の近道です。
人から教わるよりもマスメディアから情報を収集するほうが確かに容易です。その人を知っていなければいけないですし、謙虚な姿勢でお願いしなくてはいけません。ですが、容易であるというのはそれだけ結果もそうであるということです。
知っている人を知る活動をする。謙虚な姿勢で人から学ぶ。それを繰り返すことが物事を知るということです。何よりも知っている人を知っていて、いつでもその人に問い合わせができるというのは何よりも強い武器となることでしょう。
私が個人でやっている勉強会・交流会「びびこむ」は、そういった知っている人を知る、自分の知っているものを提供するという『知識・知恵を共有・継承するための人財の輪』を目指しています。講師も生徒もないのはそのためです。実際、そこで知り合った人に気軽に電話で問い合わせができるのはありがたいことです。最近、特に痛感しています。
びびこむ公式ホームページ http://vivi-com.jp/m/
次回告知 http://vivi-com.jp/m/3.html
2008年05月15日
あなたが欲しい
世の中には「ヘッドハンティング」という言葉があります。辞書によると「優秀な人財を引き抜く」といったようなことが書いてあると思うのですが、ここで指す「優秀」とは何なのでしょうか。
ここには3つのパターンがあると考えています。
まず本来の意味である(1)極めて実力がありどうしてもその人財を手に入れたい、というものです。ですがそんな人間は誰もが必要とするはずであり、あるいは自力で何かを成し遂げるはずであり、極めて手に入れることが困難です。これが主流であればヘッドハンティングマーケットは極めて小さなマーケットであり、極めて困難なマーケットだと言えます。
そこで一般的なのが(2)費用対効果でその人財にメリットを感じる、というものです。これはいわゆる転職市場の基本です。教育費用を考えれば中途人財にメリットを感じ、基本知識が身についている同業他社の人間や特定分野の経験者を優遇する。採用費用を一定設けることができないので接点のある人間に声をかけて低コストでの確実な採用を優先する。ここでは、(1)のようにその人間を個として評価しているのではなく、集合体として一定の評価を与え天秤にかけていることになります。あなたが欲しいのではなく、あなたのような人たちが欲しいのです。
そして、される側は認めたがらないのですが、実は一番効果的かつ多いものとして考えられるのが(3)その人財が保有するマーケットを手に入れたい、というものです。あなたが欲しいのではなく、あなたのお客さんが欲しいのです。
ある企業の方から「君が今仲良くしているお客さんを回れば、2000万円くらいの年収はいけるよ」とヘッドハンティングされたことがあります。それは誠に真を得ていると思います。企業にとって顧客の開拓は最も重要かつ困難なものです。それを企業で自分の担当先として有していた人間、もっと簡単に言うと営業経験がある人間はある程度の顧客との面識・名刺リストなどを有しています。それは営業活動の基礎中の基礎になるものであり、そのつながりとリストを新規で作るとなれば相当に時間とコストを要します。ですが、その人間がいればその時間とコストを一気に省略できてしまうのです。
個の実力というのは計り知ることが難しいものです。ですが、その有するマーケットははっきりと計算することができます。その確実に手に入るものを評価するのも当然です。それが手に入れたいマーケットならばなおのことです。
「あなたが欲しい」とは非常に奥が深い言葉です。そこには決して偽りはないのですが、そこではあなたの何が欲しいのかは語られません。
ヘッドハンティングを受けて自分の実力があると勘違いする人も少なくありませんが、自分の何を見られているのかをもう一度見直す必要があります。(2)(3)の場合も自分の実力で手に入れたものだと反論する人も少なくないでしょうが、その多くは自分の実力ではなく自分が所属するところのおかげであることを見失ってはいけません。
「あなたが欲しい」という言葉は人の心を惑わします。そんなときこそ一歩引いて自分の実力を見つめなおすときです。
ここには3つのパターンがあると考えています。
まず本来の意味である(1)極めて実力がありどうしてもその人財を手に入れたい、というものです。ですがそんな人間は誰もが必要とするはずであり、あるいは自力で何かを成し遂げるはずであり、極めて手に入れることが困難です。これが主流であればヘッドハンティングマーケットは極めて小さなマーケットであり、極めて困難なマーケットだと言えます。
そこで一般的なのが(2)費用対効果でその人財にメリットを感じる、というものです。これはいわゆる転職市場の基本です。教育費用を考えれば中途人財にメリットを感じ、基本知識が身についている同業他社の人間や特定分野の経験者を優遇する。採用費用を一定設けることができないので接点のある人間に声をかけて低コストでの確実な採用を優先する。ここでは、(1)のようにその人間を個として評価しているのではなく、集合体として一定の評価を与え天秤にかけていることになります。あなたが欲しいのではなく、あなたのような人たちが欲しいのです。
そして、される側は認めたがらないのですが、実は一番効果的かつ多いものとして考えられるのが(3)その人財が保有するマーケットを手に入れたい、というものです。あなたが欲しいのではなく、あなたのお客さんが欲しいのです。
ある企業の方から「君が今仲良くしているお客さんを回れば、2000万円くらいの年収はいけるよ」とヘッドハンティングされたことがあります。それは誠に真を得ていると思います。企業にとって顧客の開拓は最も重要かつ困難なものです。それを企業で自分の担当先として有していた人間、もっと簡単に言うと営業経験がある人間はある程度の顧客との面識・名刺リストなどを有しています。それは営業活動の基礎中の基礎になるものであり、そのつながりとリストを新規で作るとなれば相当に時間とコストを要します。ですが、その人間がいればその時間とコストを一気に省略できてしまうのです。
個の実力というのは計り知ることが難しいものです。ですが、その有するマーケットははっきりと計算することができます。その確実に手に入るものを評価するのも当然です。それが手に入れたいマーケットならばなおのことです。
「あなたが欲しい」とは非常に奥が深い言葉です。そこには決して偽りはないのですが、そこではあなたの何が欲しいのかは語られません。
ヘッドハンティングを受けて自分の実力があると勘違いする人も少なくありませんが、自分の何を見られているのかをもう一度見直す必要があります。(2)(3)の場合も自分の実力で手に入れたものだと反論する人も少なくないでしょうが、その多くは自分の実力ではなく自分が所属するところのおかげであることを見失ってはいけません。
「あなたが欲しい」という言葉は人の心を惑わします。そんなときこそ一歩引いて自分の実力を見つめなおすときです。
2008年05月11日
項目数を減らすという考え方
今日は「これをしよう」と決めて、難易度も高く時間もかかる事柄を片付けようと決意していたとします。ですが、やらなければいけないと思っていることはひとつであるはずもなく、それを片付けている間にもまた増えていくものでしょう。
人間はやらなければいけないことが増えてくると、その強迫観念により落ち着かなくなります。せっかく決意していた事柄に対しても集中できなくなってしまいます。
そんなとき、短期的な視点(たとえば今日一日など)に限定されますが、項目数を減らすという考え方を推奨しています。
やらなければいけないと思うことがたくさんあると感じたとき、まずそれらを書き出します。まず、数を知ることが大切です。一体いくつのACTION項目があるかを知るのです。次に、それらの難易度と予想時間を記します。これで自分のACTIONを把握することができます。この段階で落ち着くことができます。強迫観念のほとんどはわからないことによるものだからです。書き出してみれば思っていたより少ないという場合がほとんどです。わかれば怖くないのです。
ここからは実際にACTIONに移ります。ACTIONの順序は「項目数を減らす」という視点を第一優先します。簡単に言うと「電話」「メール」「一部修正」などの10分以内で終わる項目を先にやってしまうのです。それらを積み上げていったところで所要時間はたいしたことではありません。
次に、時間が予想できないものや不安が残っているものに取り掛かります。これをある一定の時間で中断します。それによって、その事柄の予想時間や難易度を把握するのです。
これで終了です。
項目を正しく把握し、不安が取り除かれていれば、あなたの考える優先順位(納期や難易度)で進めても問題ありません。
物事を進める上で大きな課題となるのが、わからないや不安だという気持ちです。それが物事の進行を遅くし、物事の欠落やミスを招くのです。まずは項目数を減らすことと不安を取り除くことが先決です。項目数を減らし不安を取り除くことができれば、物事が把握でき、イメージができるようになります。
イメージできればマネージができます。そうなればあなたのものです。
人間はやらなければいけないことが増えてくると、その強迫観念により落ち着かなくなります。せっかく決意していた事柄に対しても集中できなくなってしまいます。
そんなとき、短期的な視点(たとえば今日一日など)に限定されますが、項目数を減らすという考え方を推奨しています。
やらなければいけないと思うことがたくさんあると感じたとき、まずそれらを書き出します。まず、数を知ることが大切です。一体いくつのACTION項目があるかを知るのです。次に、それらの難易度と予想時間を記します。これで自分のACTIONを把握することができます。この段階で落ち着くことができます。強迫観念のほとんどはわからないことによるものだからです。書き出してみれば思っていたより少ないという場合がほとんどです。わかれば怖くないのです。
ここからは実際にACTIONに移ります。ACTIONの順序は「項目数を減らす」という視点を第一優先します。簡単に言うと「電話」「メール」「一部修正」などの10分以内で終わる項目を先にやってしまうのです。それらを積み上げていったところで所要時間はたいしたことではありません。
次に、時間が予想できないものや不安が残っているものに取り掛かります。これをある一定の時間で中断します。それによって、その事柄の予想時間や難易度を把握するのです。
これで終了です。
項目を正しく把握し、不安が取り除かれていれば、あなたの考える優先順位(納期や難易度)で進めても問題ありません。
物事を進める上で大きな課題となるのが、わからないや不安だという気持ちです。それが物事の進行を遅くし、物事の欠落やミスを招くのです。まずは項目数を減らすことと不安を取り除くことが先決です。項目数を減らし不安を取り除くことができれば、物事が把握でき、イメージができるようになります。
イメージできればマネージができます。そうなればあなたのものです。
2008年05月07日
あることはすごいことである
モノを与えられたり手に入れることができると喜びを感じます。与えてくれた人やモノに感謝し、手に入れた自分を褒めます。ですが、ひとたび手に入れてしまえば、いつの間にかそれは当たり前のことになって行きます。あることが当たり前だと勘違いしたとき、感覚は麻痺し、感謝を忘れ、逆にないことを嘆いたり不平を言ったりするようになります。
モノが「ある(現在)」というのはそれだけですごいことなのです。
「なかった(過去)」ことや「なくなる可能性(未来)」を忘れてしまってはいけないのです。
それらを忘れてしまったとき、与える側は与える価値を認められず与えることをやめるでしょう。それらを忘れてしまったとき、失ってから後悔することでしょう。
仕事で言えば、オフィス・机・パソコン・給料・コピー機に筆記用具類・・・数え上げればキリがありません。日本での生活で言えば、公共施設・トイレに紙・レジ袋・夜間照明・道路・・・数え上げればキリがありません。私たちが日常生活を送っているところがキレイなのは誰かが代わりに掃除してくれているからなのです。
起業をすれば、それらは自分で稼いで自分で用意しなければいけないのです。つまり、稼げなければなくなるのが当たり前なのです。海外に行けば、それらは自分で用意しなければいけないのです。なくて当たり前なのです。
自分の行いに対して当たり前の水準を高く持ちましょう。それが自分に厳しく、他人に優しくということです。他人の行いに対して当たり前の水準を低くしましょう。そうすれば争いは起こりません。ないことを嘆くのではなく、あることに感謝すれば、心穏やかに過ごせます。
そしてその感謝の積み重ねが「未来のある」を担保するものなのです。
モノが「ある(現在)」というのはそれだけですごいことなのです。
「なかった(過去)」ことや「なくなる可能性(未来)」を忘れてしまってはいけないのです。
それらを忘れてしまったとき、与える側は与える価値を認められず与えることをやめるでしょう。それらを忘れてしまったとき、失ってから後悔することでしょう。
仕事で言えば、オフィス・机・パソコン・給料・コピー機に筆記用具類・・・数え上げればキリがありません。日本での生活で言えば、公共施設・トイレに紙・レジ袋・夜間照明・道路・・・数え上げればキリがありません。私たちが日常生活を送っているところがキレイなのは誰かが代わりに掃除してくれているからなのです。
起業をすれば、それらは自分で稼いで自分で用意しなければいけないのです。つまり、稼げなければなくなるのが当たり前なのです。海外に行けば、それらは自分で用意しなければいけないのです。なくて当たり前なのです。
自分の行いに対して当たり前の水準を高く持ちましょう。それが自分に厳しく、他人に優しくということです。他人の行いに対して当たり前の水準を低くしましょう。そうすれば争いは起こりません。ないことを嘆くのではなく、あることに感謝すれば、心穏やかに過ごせます。
そしてその感謝の積み重ねが「未来のある」を担保するものなのです。
2008年04月20日
受け手にも感度を!
物事を正しく伝えるには、正しく伝わるには、双方の力が必要です。発信者が正しく伝えようとしなければ、いかに受信者がアンテナをめぐらせても正しく伝わりません。発信者がいかに正しく伝えようとしても、受信者が正しく捉えなければ正しく伝わりません。つまり、伝達というのは一方通行のように見えて双方向なのです。
発信者からの指示をだたの命令と捉え、正しく理解(咀嚼)もせずに従い、結果的に指示者の意図と違い逆に後退させる人がいます。あるいはたった一言や言葉足らずで誤解し、関係を後退させる人がいます。説明会に行ってもあの会社はよくわからなかったと、動機を後退させる人がいます。
そういう人たちはこう言うでしょう。言っていることがわからない(わからなかった)。そんなことは聞いていない(聞いていなかった)。と。
その通りです。確かに言っていることがわからないですし、聞いていないのです。ですが、このときに大きなポイントとなるのが「誰が」という点です。後退をさせる人は、この行動主体を発信者だと考え、発信者の不足を嘆き愚痴ります。つまりは他人のことしか見えず、自身を省みることがないのです。
しかし、上記の行動主体を受信者自身だと考えてみましょう。「私が」わからない、理解できていないのです。「私が」聞いていないのです。
そうです、わからなければ聞けばいいのです。聞かなければ発信者は全てを伝えた気になりますし、わかってもらった気になります。むしろ10伝えようとしていたのが5で済んで楽な気分でいるかもしれません。聞かなければ聞けないですし、わかろうとしなければわかるはずがないのです。
伝達は双方向においてのみ正しく行われます。発信者の正しく伝えようという姿勢はもちろんのこと、受信者にも正しく捉えようとしてはじめて成立するのです。
発信者からの指示をだたの命令と捉え、正しく理解(咀嚼)もせずに従い、結果的に指示者の意図と違い逆に後退させる人がいます。あるいはたった一言や言葉足らずで誤解し、関係を後退させる人がいます。説明会に行ってもあの会社はよくわからなかったと、動機を後退させる人がいます。
そういう人たちはこう言うでしょう。言っていることがわからない(わからなかった)。そんなことは聞いていない(聞いていなかった)。と。
その通りです。確かに言っていることがわからないですし、聞いていないのです。ですが、このときに大きなポイントとなるのが「誰が」という点です。後退をさせる人は、この行動主体を発信者だと考え、発信者の不足を嘆き愚痴ります。つまりは他人のことしか見えず、自身を省みることがないのです。
しかし、上記の行動主体を受信者自身だと考えてみましょう。「私が」わからない、理解できていないのです。「私が」聞いていないのです。
そうです、わからなければ聞けばいいのです。聞かなければ発信者は全てを伝えた気になりますし、わかってもらった気になります。むしろ10伝えようとしていたのが5で済んで楽な気分でいるかもしれません。聞かなければ聞けないですし、わかろうとしなければわかるはずがないのです。
伝達は双方向においてのみ正しく行われます。発信者の正しく伝えようという姿勢はもちろんのこと、受信者にも正しく捉えようとしてはじめて成立するのです。
2008年03月26日
その人の体調は属するものの体調でもある
人はそれぞれ属するものがあります。家族であったり、会社であったり、友人で構成されたコミュニティであったり、地縁で結びついたコミュニティであったり・・・。その属するところで誰かの身体に異変が起こったとしたら、その属するものにどこか異変がある警鐘です。
たとえば、子供が病気になった。これは立派なアラームです。自分自身が仕事や何かに没頭するあまり家庭に対して少し無理が生じていたり、何らかの自身のバランスが乱れてきているのです。
たとえば、社長の体調が芳しくない。これも立派なアラームです。社長が頑張って組織を牽引してきたが、そこにはやはり無理があって、ついにはそれが表面化してきているのです。組織の転機なのです。
自分のバランスが乱れると自分の体調が悪くなると考えがちですが、実は自分のバランスの乱れが、属するものや周辺の人に影響を与えることのほうが多いように思います。自分が無理をすれば関係性に無理が生じるわけで、その関係者にも無理を強いることになるのです。それは蓄積されていき、あるとき表面化します。
自分自身の体調が優れないとき、それはあなたが属するものにとっての警鐘なのです。自分自身だけを省みるのではなく、自分の属するものこそを見据えるときなのです。自分自身に手を打つだけではなく、自分の属するものにも手を尽くさなければいけないのです。
自分の属するものの調子に異変を感じたとき、自分の属するものに属している人の体調に異変を感じたとき、それはあなたにとってとても大切な警鐘であり、自分自身を省みるべき絶対的機会なのです。それはあなたがしてきた無理の積み上げなのです。
たとえば、子供が病気になった。これは立派なアラームです。自分自身が仕事や何かに没頭するあまり家庭に対して少し無理が生じていたり、何らかの自身のバランスが乱れてきているのです。
たとえば、社長の体調が芳しくない。これも立派なアラームです。社長が頑張って組織を牽引してきたが、そこにはやはり無理があって、ついにはそれが表面化してきているのです。組織の転機なのです。
自分のバランスが乱れると自分の体調が悪くなると考えがちですが、実は自分のバランスの乱れが、属するものや周辺の人に影響を与えることのほうが多いように思います。自分が無理をすれば関係性に無理が生じるわけで、その関係者にも無理を強いることになるのです。それは蓄積されていき、あるとき表面化します。
自分自身の体調が優れないとき、それはあなたが属するものにとっての警鐘なのです。自分自身だけを省みるのではなく、自分の属するものこそを見据えるときなのです。自分自身に手を打つだけではなく、自分の属するものにも手を尽くさなければいけないのです。
自分の属するものの調子に異変を感じたとき、自分の属するものに属している人の体調に異変を感じたとき、それはあなたにとってとても大切な警鐘であり、自分自身を省みるべき絶対的機会なのです。それはあなたがしてきた無理の積み上げなのです。
2008年03月16日
大小の区別
取引の大小で態度が変わってはいけない。取引先の大小で態度が変わってもいけない。という考えがあります。一方で効率を考えれば大小の区別は大切である。という考えもあります。
この相反する考え方ですが、根底にあるものは簡単なことです。「損をしてはいけない、しっかりと利益を確保すること」ただそれだけです。
大きいからといって利益を度外視して扱ってもいけませんし、小さいものに無駄な体力をかけて採算を悪くしてもいけません。必要な利益をしっかり確保することが取引を円滑に継続する当然の秘訣です。どちらかが一方的に恩恵を受けていては取引は正常ではないからです。大きいからと言って利益を確保できなければ異常ですし、小さいものでも同じだけの利益を確保すれば正常なのです。必要な利益は取引双方にとって不可欠なのです。
つまりは、そこでベストが尽くされているかなのです。
ベストを尽くさなければ信用を失い、全てが継続できなくなります。一方で、ベストを尽くしても合わないのであれば、その取引においてのみ取引をしないほうがいいのです。そこで無理をすれば他の取引にも影響を及ぼし、全てが継続できなくなります。
取引の大小でレスポンスの良さなど態度が変わるような人がいます。私はそういう人とは取引をしたいと思いません。あるいは他者の見積もりを聞いてそれを下回る再見積もりをしようとする人がいます。私はそういう人とは取引をしたいとは思いません。そういう人はベストを尽くすという意味を根本的に理解していないからです。
態度が変わらない人であれば常にこちらの要求をはっきりと言えますし、他者の見積もりのほうが高いとしてもこちらの必要な利益が確保できる範囲で彼に要求し、それで合うのであれば彼に頼もうと思います。下回る再見積もりをしようとするのであれば(それで必要な利益が確保できるのであれば)最初からそのプライスを提示するのがベストを尽くすということです。
ベストを尽くすというのは信用の根底にあります。その信用があればお互いが必要な利益を率直に伝え合うことができ、不要な取引はせずにお互いに喜ばしい取引だけが継続されていきます。それが更なる信用を積み上げるのです。その逆、その裏切りは言うまでもありません。
この相反する考え方ですが、根底にあるものは簡単なことです。「損をしてはいけない、しっかりと利益を確保すること」ただそれだけです。
大きいからといって利益を度外視して扱ってもいけませんし、小さいものに無駄な体力をかけて採算を悪くしてもいけません。必要な利益をしっかり確保することが取引を円滑に継続する当然の秘訣です。どちらかが一方的に恩恵を受けていては取引は正常ではないからです。大きいからと言って利益を確保できなければ異常ですし、小さいものでも同じだけの利益を確保すれば正常なのです。必要な利益は取引双方にとって不可欠なのです。
つまりは、そこでベストが尽くされているかなのです。
ベストを尽くさなければ信用を失い、全てが継続できなくなります。一方で、ベストを尽くしても合わないのであれば、その取引においてのみ取引をしないほうがいいのです。そこで無理をすれば他の取引にも影響を及ぼし、全てが継続できなくなります。
取引の大小でレスポンスの良さなど態度が変わるような人がいます。私はそういう人とは取引をしたいと思いません。あるいは他者の見積もりを聞いてそれを下回る再見積もりをしようとする人がいます。私はそういう人とは取引をしたいとは思いません。そういう人はベストを尽くすという意味を根本的に理解していないからです。
態度が変わらない人であれば常にこちらの要求をはっきりと言えますし、他者の見積もりのほうが高いとしてもこちらの必要な利益が確保できる範囲で彼に要求し、それで合うのであれば彼に頼もうと思います。下回る再見積もりをしようとするのであれば(それで必要な利益が確保できるのであれば)最初からそのプライスを提示するのがベストを尽くすということです。
ベストを尽くすというのは信用の根底にあります。その信用があればお互いが必要な利益を率直に伝え合うことができ、不要な取引はせずにお互いに喜ばしい取引だけが継続されていきます。それが更なる信用を積み上げるのです。その逆、その裏切りは言うまでもありません。






