2009年10月26日

「だから、答えを教えてください」

最近よく耳にする言葉です。後輩や就職活動生の口から出る言葉や行動からそういった姿勢をしみじみと感じます。すぐ答えにたどり着きたいんだろうな、考える時間がないんだろうな、と痛々しくも感じます。

算数や知識のように一問一答形式で唯一無二の答えにたどり着けるものを教えることは簡単です。答えが複数あるものや一概に答えは決められないものであっても、主観を交えてで良いのであれば、教えることは簡単です。

だからこそ、教えるかどうかの判断基準を大切にしています。それはその言葉を口にした人間の姿勢です。ただ答えが欲しいだけであったり、考える過程を放棄したい人間には教えようとは思いません。自分なりの答えにたどり着いた人間が確認のために聞いてくるものには教えます。「自分としては考えた結果こうだと思うんですけど合ってますか?(どう思いますか?)」。主体者が自分になっているかです。

教えられた答えはすぐに忘れます。ですが、導き出した答えは忘れません。

数学で公式をたくさん覚えさせられました。その公式に至る過程や公式の背景を理解していれば忘れませんが、単なる文字情報として覚えたものはすぐに忘れてしまいますし、また全く応用が利きません。

大切なのは答えを知ることではなく、答えにたどり着くまでの紆余曲折の中でその問題が自分のものになることです。

セミナー講師などをやったりしていると、きっかけ作りでは不満の声が多く聞かれます。映画でもわかりやすい結末でないとわからない映画だったとなります。答えが欲しくて足を運んでいる人があまりにも多いのです。答えは、きっかけとなるセミナーやそういったもののあとの「自分自身の行動」の中にあるのです。

わかりやすい答え(How to、テクニック)だけを教えてもらって、その瞬間だけモチベーションが上るけど翌日には何も実践されてないといったことをよくよく目にします。それは他人の答えがゴールになっていて自分の答えになっていないからでしょう。

教えられた答えがあるならば、その背景やプロセスを理解し、自分でも導き出せる答えにしよう。きっかけをもらったならばそれを自分に照らして考え悩み、自分の答えを導き出そう。

答えは「あなたの答え」なのです。
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2009年09月16日

言葉は歩くよどこまでも

コミュニケーションにおいて言葉とは相手に物事を伝達する手段に過ぎません。しかし、自分が意味をのっけた言葉というものが相手に届くと、相手の中で別の意味が付与されたり変化を遂げたりすることがあります。言葉とは端を成すものに過ぎませんが、それに触れた人の思いが含有されると特別なものになる不思議なものです。

最近、自分が発したであろう言葉が他者の中ではものすごく残存・滞留していたケースにいくつか連続して出会いました。他者に大いなる影響を及ぼしているということは非常に嬉しいことでもあり、責任を感じます。

私の場合、その結論として「照れ」に変わります。

何故なら、それらのほとんどが発したで「あろう」であり、当の本人である私は覚えていないからです。また、それらのほとんどが「無責任」に発せられた言葉だと思うからです。それが他者の記憶にしっかりと留められ、しっかりとした意味を持って、改めて私に感謝を持って向けられている。その責任の重さと喜びに対して、自分が発したときの真逆さに恥ずかしくなるのです。嬉しさと恥ずかしさの混沌、照れです。

その言葉は、発したという点において私のモノです。ですが、それを受け止める側が自分の感度を持って解釈し、自分に照らし合わせて意味を付与した、その時点でその言葉はもはやその人のモノです。その言葉がその人の役に立っているのだとしたら、私の力ではなくその人の力です。

一つの言葉が発せられ、他者に伝わっていく中で様々な意味を持っていく。他者に伝わってもその人の中に残存することもある。それが時に大いなるターニングポイントになるような偉大なる力を持つ。

言葉は発する側の責任と受け手の感度で七色に変化する。そしてどこまでも伝わっていく可能性がある。本当に不思議なものです。

さらに、他者が解釈したものを教えてもらうことで自分が発した言葉の意味を再確認・新発見できました。自分がおぼろげながら言っていた長い言葉の群れが、他者の言葉になることで短く深いものへと変わる。自分の考えがまとまるようなすっきりさもそこにはありました。

言葉はキャッチボールするほどに磨かれる。そして共通言語へと変わっていく。本当に不思議なものです。(二回目)
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2008年07月30日

本気度が本気度を変える

周りを巻き込む力は当事者の本気度です。本気で取り組んでいる人に影響を受けて、周りも引き寄せられますし、本気にもなります。

こんな経験を聞きました。

当初引き受けたときは仲介者の信用であり仕方なしであった。しかし、実際にやっている人たちの姿を見たとき、彼らを裏切ってはいけないと思った。そして彼らの真剣さに心打たれて、気づけば自分も本気になっていた。今は徹夜も辞さない。彼らの本気に応えるためにも自分も本気だし、むしろ本気になるものに出会えて仲介者に本当に感謝している。

その方は巻き込まれた側にもかかわらず、表情が生き生きしていました。当事者の本気度がこの方の気持ちに火をつけ、ついには幸せさえも与えました。当事者の本気には周りを幸せにする力があるのです。

一方でこんな話もあります。

ある人物が「自分は頑張っている」「自分は本気で取り組んでいる」と言い、うまくいっていないことを周りに愚痴ってばかりいた。「自分は」という言葉を聞き飽きた周囲が距離を置いてしまった。挙句の果てには周囲は何をしていいかわからなくなって、頑張ることをやめてしまった。

本気の人は愚痴ったりはせず、ただひたすらに取り組んでいます。周りに愚痴るような無駄なことをしたり、周りがわかってくれないなどと独りよがりになったりはしません。その姿は本気ではなく、自己顕示でしかないのです。

当事者の本気は周りを巻き込む力となり周りにも良い影響を与えます。当事者の不誠実は周りを巻き込むだけ巻き込んで周りにも悪い影響を与えます。

今、自分は巻き込んだ人たちにどういった影響を与えているか。それは自分を省みる鏡にもなるのです。
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2008年07月18日

紹介リスクの話

紹介リスクというものがあります。不用意に紹介をして、紹介した先でトラブルがあった場合、紹介した者も責任を負わなければならないということです。

昨日Bとランチをしていてその話になり、今日も別の方とその話になったので記しておこうと思います。

京都には「一見さんお断り」という言葉があります。「紹介がないと利用できない」という賛否両論ある制度ですが、そこはさておき。この制度は「紹介者が保証をする」というのがその本質です。粗相や不払いは紹介者が責任を負うのです。これによって紹介者は紹介にふさわしい人を紹介することとなり、お店側は常連さんに、しきたりや事情をよく知らない人が入れずお店本来の雰囲気が乱れたり迷惑をかけたりしないことを保証し、手厚くもてなす姿勢を表明しているのです。

紹介される人は紹介者を信用しているから紹介を受け入れるのです。「この人は信用できる人だから変な人は紹介しないだろう」と。だから変な人が紹介されたときはその変な人だけでなく、紹介者にも「どうしてこんな変な人を紹介したんだ?責任を取ってくれ!」となるでしょう。

紹介をする、というのはそういうことなのです。安直に「紹介して」と言う人がいますが、それは紹介者にリスクを負わせているという認識が必要です。自分が紹介されるにふさわしくなることはもちろんのこと、紹介されたからには紹介してくれた人の分も紹介先にきっちりと礼節もって接することです。

紹介というのは「紹介者の保証」です。だから関係の構築も一見よりも容易なのです。そこには紹介者の信用があるのです。それを安易に自分の信用だと勘違いしてはいけません。紹介者の信用をお借りしたのだからこそ、いつも以上にきっちりと信用を積み上げていかねばならないのです。
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2008年06月21日

ギャップの話

目標を立てたがる人がいます。数年後に○○と大きな目標を立てては過ぎ去っていきます。あるいは毎年のようにその目標は変更されたり、気分が変わってあっちこっちへ飛び回ります。

目標を立てるのを嫌がる人がいます。根拠もなく目標を立てることは無意味だと言います。あるいは目標やノルマはプレッシャーやストレスであり、やる気や楽しさを減少させると言います。

目標とは作るものです。

根拠のあるものは見込みであり、それはやるべきことをやれば達成されます。大切なことは成長することです。だからこそ目標を仮説から作ることが必要なのです。見込みに仮説から生まれるであろう成果を加えたものが目標です。

目標の意義は検証することです。

目標は掲げたら終わりではありません。やるべきことをやって見込みを達成し、仮説をやりきって検証するのです。大切なことは検証を経て、仮説を根拠として固めることです。その根拠が確固たるものになれば見込みは上昇し、さらなる仮説を立てて目標を作ることができます。目標の達成ではなく、目標と結果のギャップを把握・検証して根拠を作ることが、目標を作ることの意義なのです。それは仮説を立てることとそれをやりきることで成しえます。

目標とのギャップに意味があるのです。

下回った場合はもちろん上回った場合も検証は必要です。目標と一致しなかったということは仮説にズレがあるのです。そこに根拠と次なる仮説を立てるための課題が存在するのです。そのギャップを把握することが第一歩なのです。逆に言えば、目標を作らなければそのギャップは存在しえず、ただの結果論で何も生まれず次にもつながりません。

つまり、目標は作るものであり、結果をもってはじめてギャップという意味を持ち、検証を通じて成長の源泉となるのもなのです。
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2008年06月17日

為になる話

「ためになる(なった)」「ためにならない(ならなかった)」という判断があります。これは研修や勉強会や読書など、あるものを求めて吸収しに行く、という姿勢を示す対象に対してよく使われる言葉です。

「為」には役に立つという意味があるので、多くの場合求める「あるもの」とは知識や知恵・経験を指します。それが自分の求めているものなのかどうか、あるいは自分の関心のあるものなのかどうか、自分の関係する事柄かどうかという「自分に密接につながりがあるか」という自己都合で判断されるものです。

そういう意味ではどういうものを提供するかや行われる内容がどういうものかでためになるかどうか判断されるのではなく、受け手にとってどうかということで判断されるのです。発信者の優劣ではなく、受け手主体のあくまで判断なのです。

逆に言えば、受け手次第でもあるのです。「ためになる」ものを求めるのではなく「糧にする」のです。仮に遠く離れたものであったとしても今の自分にいかに照らして結び付けて考えられるかです。あるいは反面教師として自分を確認できるかです。発信者から物事を受け取るということは他者や社会との接触であり、自らを省みる格好の機会なのです。

自分に関係ない関心がないと捨て置いてしまうのは容易なことです。ですが、そこに関係性を持たせ、言葉を置き換え、自分の糧としていくことができれば何でも「ためになる」ものへと変貌します。何事からも大切なものを吸収していくことができるのです。

昨日お会いした方が「自分と領域の違う人こそ大切な人脈だ」とおっしゃっていました。そういう人が世界を広げていくのです。
posted by 奥田圭太 at 11:59| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム:言葉津々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月10日

時間の幻想

長い思考、長い議論、長い会議、長い確認・・・長いという言葉には長時間をかけるという意味が含まれています。そしてその「かける」は「かけるべくしてかかった」のか「(結果として)かかってしまった」のか「かかっただけ(浪費)」なのか。

時間が長くかかるというものには物理的なものと心情的なものがあります。物理的なものは避けようがないとしても心情的なものは省くことが可能です。

心情的なものを省くことができるのは決断や判断という意思です。しかし、その意思が働かず、もしくは放棄することで物事は長引くことがよくあります。あるいは意思が逆に働くことでむしろ長引かせようという動きもあります。それは長い時間をかけたものはいいものだという「幻想」です。

考えれば考えるほどいいアイデアが出る、話し合えば話し合うほど納得しあえる、わかりあえる、というのは幻想です。どれだけ考えても、どれだけ話し合っても最後には何かを選ぶことになります。そこには意思が必要であり、何かを選ぶということは何かを捨てることです。

つまりは長い時間を意思なく闇雲にかけることは拡散していくことであり、どんどん焦点がぼけていくこと、選択肢が増えるだけ増えて余計に決断が下せなくなるだけなのです。責任や諸々全ての所在をぼかしあやふやにするだけなのです。長い時間を尊重する幻想は、意思や責任の先送り、逃避・放棄であり、それを正当化する言い訳に過ぎません。

大切なことは、ある一定の段階で踏ん切りをつけ、意思を持って決断し、その選択を責任を持って実行するということです。
posted by 奥田圭太 at 17:05| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム:言葉津々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月04日

知っている人を知っているということ

物事はその道の人に教わるのが一番早く、正確です。

今はインターネットやテレビ・新聞・本などあらゆるマスメディアから情報は安易に手に入ります。ですが、その真贋を見分けることは容易ではなく、いつの間にか盲目的にそれらを信じ込んでしまっています。「テレビでやっていたので」「ネットで見た」などの情報源であたかも事実のように話す人の姿がそこかしこで見られます。根拠が「事実や実態」ではなく「メディア」なのです。

最近、特定の分野に長けた人に接することが重なりました。目から鱗という体験はこのことなのかと驚きました。自分の多くの勘違いや知ったかぶりを痛烈に反省することになったのです。そして多くのことを短時間で学び知ることができました。

自分の信じたい情報だけをいつの間にか選んでいたのかもしれません。表面だけを知って、あとは想像を都合よく詰め込んでいたのかもしれません。おそらく誰でもあることなのでしょう。無意識に情報を選ぶというのは潜在意識で能動的に情報を選んでいるのです。

物事を知りたいとき、その道の人に聞け。中途半端な情報をかき集めたり、中途半端な幻想を描くよりも、その道の人に聞く、これが一番の近道です。

人から教わるよりもマスメディアから情報を収集するほうが確かに容易です。その人を知っていなければいけないですし、謙虚な姿勢でお願いしなくてはいけません。ですが、容易であるというのはそれだけ結果もそうであるということです。

知っている人を知る活動をする。謙虚な姿勢で人から学ぶ。それを繰り返すことが物事を知るということです。何よりも知っている人を知っていて、いつでもその人に問い合わせができるというのは何よりも強い武器となることでしょう。

私が個人でやっている勉強会・交流会「びびこむ」は、そういった知っている人を知る、自分の知っているものを提供するという『知識・知恵を共有・継承するための人財の輪』を目指しています。講師も生徒もないのはそのためです。実際、そこで知り合った人に気軽に電話で問い合わせができるのはありがたいことです。最近、特に痛感しています。

びびこむ公式ホームページ http://vivi-com.jp/m/
次回告知  http://vivi-com.jp/m/3.html
posted by 奥田圭太 at 21:29| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム:言葉津々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月15日

あなたが欲しい

世の中には「ヘッドハンティング」という言葉があります。辞書によると「優秀な人財を引き抜く」といったようなことが書いてあると思うのですが、ここで指す「優秀」とは何なのでしょうか。

ここには3つのパターンがあると考えています。

まず本来の意味である(1)極めて実力がありどうしてもその人財を手に入れたい、というものです。ですがそんな人間は誰もが必要とするはずであり、あるいは自力で何かを成し遂げるはずであり、極めて手に入れることが困難です。これが主流であればヘッドハンティングマーケットは極めて小さなマーケットであり、極めて困難なマーケットだと言えます。

そこで一般的なのが(2)費用対効果でその人財にメリットを感じる、というものです。これはいわゆる転職市場の基本です。教育費用を考えれば中途人財にメリットを感じ、基本知識が身についている同業他社の人間や特定分野の経験者を優遇する。採用費用を一定設けることができないので接点のある人間に声をかけて低コストでの確実な採用を優先する。ここでは、(1)のようにその人間を個として評価しているのではなく、集合体として一定の評価を与え天秤にかけていることになります。あなたが欲しいのではなく、あなたのような人たちが欲しいのです。

そして、される側は認めたがらないのですが、実は一番効果的かつ多いものとして考えられるのが(3)その人財が保有するマーケットを手に入れたい、というものです。あなたが欲しいのではなく、あなたのお客さんが欲しいのです。

ある企業の方から「君が今仲良くしているお客さんを回れば、2000万円くらいの年収はいけるよ」とヘッドハンティングされたことがあります。それは誠に真を得ていると思います。企業にとって顧客の開拓は最も重要かつ困難なものです。それを企業で自分の担当先として有していた人間、もっと簡単に言うと営業経験がある人間はある程度の顧客との面識・名刺リストなどを有しています。それは営業活動の基礎中の基礎になるものであり、そのつながりとリストを新規で作るとなれば相当に時間とコストを要します。ですが、その人間がいればその時間とコストを一気に省略できてしまうのです。

個の実力というのは計り知ることが難しいものです。ですが、その有するマーケットははっきりと計算することができます。その確実に手に入るものを評価するのも当然です。それが手に入れたいマーケットならばなおのことです。

「あなたが欲しい」とは非常に奥が深い言葉です。そこには決して偽りはないのですが、そこではあなたの何が欲しいのかは語られません。

ヘッドハンティングを受けて自分の実力があると勘違いする人も少なくありませんが、自分の何を見られているのかをもう一度見直す必要があります。(2)(3)の場合も自分の実力で手に入れたものだと反論する人も少なくないでしょうが、その多くは自分の実力ではなく自分が所属するところのおかげであることを見失ってはいけません。

「あなたが欲しい」という言葉は人の心を惑わします。そんなときこそ一歩引いて自分の実力を見つめなおすときです。
posted by 奥田圭太 at 02:57| Comment(2) | TrackBack(0) | コラム:言葉津々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月11日

項目数を減らすという考え方

今日は「これをしよう」と決めて、難易度も高く時間もかかる事柄を片付けようと決意していたとします。ですが、やらなければいけないと思っていることはひとつであるはずもなく、それを片付けている間にもまた増えていくものでしょう。

人間はやらなければいけないことが増えてくると、その強迫観念により落ち着かなくなります。せっかく決意していた事柄に対しても集中できなくなってしまいます。

そんなとき、短期的な視点(たとえば今日一日など)に限定されますが、項目数を減らすという考え方を推奨しています。

やらなければいけないと思うことがたくさんあると感じたとき、まずそれらを書き出します。まず、数を知ることが大切です。一体いくつのACTION項目があるかを知るのです。次に、それらの難易度と予想時間を記します。これで自分のACTIONを把握することができます。この段階で落ち着くことができます。強迫観念のほとんどはわからないことによるものだからです。書き出してみれば思っていたより少ないという場合がほとんどです。わかれば怖くないのです。

ここからは実際にACTIONに移ります。ACTIONの順序は「項目数を減らす」という視点を第一優先します。簡単に言うと「電話」「メール」「一部修正」などの10分以内で終わる項目を先にやってしまうのです。それらを積み上げていったところで所要時間はたいしたことではありません。

次に、時間が予想できないものや不安が残っているものに取り掛かります。これをある一定の時間で中断します。それによって、その事柄の予想時間や難易度を把握するのです。

これで終了です。

項目を正しく把握し、不安が取り除かれていれば、あなたの考える優先順位(納期や難易度)で進めても問題ありません。

物事を進める上で大きな課題となるのが、わからないや不安だという気持ちです。それが物事の進行を遅くし、物事の欠落やミスを招くのです。まずは項目数を減らすことと不安を取り除くことが先決です。項目数を減らし不安を取り除くことができれば、物事が把握でき、イメージができるようになります。

イメージできればマネージができます。そうなればあなたのものです。
posted by 奥田圭太 at 22:11| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム:言葉津々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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