2007年01月02日

野田秀樹と浦沢直樹とクリントイーストウッドと

最近観た3作品から感じ取って勝手に解釈したこと。
3作品とは野田秀樹「ロープ」、浦沢直樹「20世紀少年」、クリントイーストウッド「父親たちの星条旗」です。

人の営みとは大衆の熱狂によって創られるものである。

それは経済もしかり、宗教もしかり、英雄もしかり、スターやアイドルもしかり、戦争もしかりです。それらは「きっかけ」をもって、大衆の熱狂により過激になり続け、大きな大きな力となって爆発し、最後には消費しきられた無力感だけが残るのです。そして、それは繰り返されていきます。

無力感による後悔と反省から私たちはその「きっかけ」に原因を求めます。簡単に言ってしまうと「犯人探し」です。そして、その犯人を理由に、その犯人だけを原因として、その犯人だけを悪者にして、無力感による後悔と反省を忘れてしまうのです。だから、私たちは代わりの過激なものをすぐに探し、消費しては捨て、人の営みは繰り返されるのです。

野田秀樹「ロープ」では全ての登場人物にきっかけを与えていた「ユダヤ人の社長」は最後まで登場せず、もちろんユダヤ人でもなく、誰かわからないという形で終わります。浦沢直樹「20世紀少年」では最後まで悪役であった「ともだち」はフクベエなのか整形なのか・・・主人公はもはや誰かはどうでもよいことを告げます。クリントイーストウッド「父親たちの星条旗」ではきっかけとなるのは1枚の写真ですが、最終的にそれの真贋などは関係なくなります。

繰り返しているのは私たちである。増幅していく熱狂に文字通り狂った私たちなのです。そのとき、もはや「きっかけ」の顔などは大切なことではないのです。人の営みは大衆となったときに熱狂として膨張し続ける。そして、辿り着く先「無力」なのです。

追伸
かなり短縮して書き残しました。最初に書き始めたものがあまりに過激になっていったのでかなり修正しました。あくまで自分が好きな3作品からビリビリ感じてしまったものを共通項として搾り出してみただけです。深い意味はありません。
posted by 奥田圭太 at 23:23| Comment(2) | TrackBack(0) | 本・映画・舞台・ライブ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
それわかるなー
そして、それって、めちゃ深いよなー。

大衆の熱狂。
バブルの根源も同様。

これを、どれだけの人が意識できているのか?
この文章を、どれだけの人が理解できるのか?
人類は、どれだけ学習できているのだろうか?

色々と考えさせられる文章です
Posted by zabi at 2007年01月03日 11:39
>zabiさん
賛同ありがとうございます。
私の意見というよりも影響を受けたというほうが正しい文章ですが。
「今を生きている」実感も含めて、
同じ時代を共有できている表現者から、
その時代の社会へつなげて考え学ぶことは、
同じ時代を生きていることへの感謝だと思います。
Posted by けいた at 2007年01月06日 23:30
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