2006年09月23日

会議の話

会議とは結論を出すものです。

故に結論を持っているものだけが会議に本当の意味で参加できます。あるいはそうでないものが出席していたとしても、結論を持っているものの言うことを聞く以外にできることはなく、それは参加者ではなく傍聴者、あるいはただの同調者です。

結論をもつには決断が伴います。そして、決断をするには意思が伴います。そしてなによりも、そこには責任を負うという覚悟が必要です。結論を出す=責任を負う、ということなのです。

一方で、結論を出すことから逃げようという動きもあります。自己防衛であり責任の回避です。誰かに責任を負って欲しいという姿勢です。そういう人もいてもいいのですが、会議に参加はできません。

会議とは結論を出すものです。

そこは責任を負う覚悟をしたものたちの意思と意思のぶつかり合いでなくてはなりません。そして、その覚悟をもつものたちの共感の場でなくてはなりません。だからこそ、そこから出た最終結論には全てのものが責任を負うのです。覚悟を持つものたちだからこそできる責任の共有です。たとえ、その結論が自分が当初考えていた結論でないとしても、意思と意思をきっちりとぶつけ合い、その結果として導かれたものなのですから、納得と共感で共有できるのです。

会議とは結論を持ったものたちが、意思と意思をぶつけ合い、最終結論を出し、その責任を負うことです。責任を負う人間を探り合うような会議では、結論は出ません。自分の結論を会議の中で出そうというものばかりでは、会議は終わりません。そして、結論を出すものが会議ですから、結論の出ない集まりは会議とは言えません。

責任持ちましょう。意思と覚悟を備えましょう。そして決断をしましょう。それが物事を決めるということです。そして、それらをしてから会議に挑みましょう。
posted by 奥田圭太 at 00:05| Comment(4) | TrackBack(0) | コラム:言葉津々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
(長文失礼) 言いたいことは分かりますが、それは、狭義の会議の考え方と感じます。英語で書くと議論一般は、argumentだけども、それ自体、二つに大別されて、@討議(discussion)=話し合い。→簡単に決着できる問題に有効。A討論(debate)= 討議で解決できない問題を強制的に決着させる。
 民主主義は、各々の意見・感想・思い・事実をつくすことが主目的で、決めることに主眼はない(オルテガ参照)。しかし、緊急事態では効率的でないので、しかたなくdebateを行い強制決着させるけど、それは国会、裁判、敵対的な役員会という非常に限定さえた場面でしかない。
 結論が出ない会議は短期的に見ると、いつまでも決まらないようにみえるけれど、それも合意(非合意)に向けたプロセスかもしれない。多数決にいたらなくとも、宮本常一の『忘れられた日本人』にみるよう、「寄り合い」というmeetingで、事実と思いを語り合うことで、かかる集団の意思をひとつの思いに孕ませることができる。孕んだものを英語ではconceptという。日本のQC運動などでは大きな効果を発揮した。決めるのではない、事実を共有することで、おのずと意思が固まってくるのもあるんじゃないかな。何らかの決定がされないで(最適解でなくとも)、放置していると事態が現状よりも悪化するとメンバーに認知されないと、決める動機付けはすくない。
 ようは、複数人数が集まった「会議体」において、会議の議題よりも先に、何のために集まったのか、この会議の今日のゴールはは何か、ミッションはなにか、があらかじめはっきりしていたら、たとえ傍観者であっても、主催者は、傍観者が事業に参画する動機づけに効果があるなら、OKと思う。
 むしろ、ビジネスなどの戦略的な意思決定は、少数者で「独善的」に行うほうがよくて、会議体ではゴールにいたる手段を多様にアイディアを出し合って選択してゆく、というほうが実際的だと考えます。意思決定者(社長)は、孤独な立場で、常に決定している。
Posted by みのだうえる at 2006年09月23日 02:35
と、かいてみたものの、「結論をださなきゃならん会議」で苦労しているのだろうね。会議の招集者と、呼ばれた立場の人では、はじめから意識の差があって、経験的に言うと、招集する側はファシリテーター(事態を一歩促進させる人)でなきゃならんが、集められたと思う人に会議の責任感(参画意識)が沸くには工夫がいる。
 ためしに進行役だけでも輪番制にすれば、アジェンダの設定、会場室のレイアウト、決定事項・未決事項の整理、有意義な情報共有ということに気を使わなきゃならんことが体験できる。
Posted by みのだうえる at 2006年09月23日 07:51
>みのだうえるさん
先輩ありがとうございます。
思い切り狭義の狭義の意味で「目的」を持ってこの記事は書いています。

つまり、
(1)会議に出る心構えの重要性
先輩も書いておられるように
>複数人数が集まった「会議体」において、会議の議題よりも先に、何のために集まったのか、この会議の今日のゴールはは何か、ミッションはなにか、があらかじめはっきりしていたら、
なのです。はっきりさせないものが多すぎる、あるいは、わかっていないなら事前に聞くべきだ、という思いを伝えるためです。
(2)特定の人物に対するメッセージ
そこ(ここではある特定のものをさしていますが)に呼ばれたのはあなたにその意思決定と責任を期待している。いいかげん覚悟しろ!というメッセージです。

なので、うまく会議をするためでも、私自身が苦労をしているわけではありません。私は「孤独な立場で」も決定する覚悟で働いていますから(笑)

それにしても今回の先輩のコメント、普通に「会議」というものの勉強になりました。言葉って面白いですね。ありがとうございます。
Posted by けいた at 2006年09月23日 10:22
と書きながら、
私のブログはかなり私的目的で書かれているものが多いと気づきました。多くの方に知識・知恵をご紹介するというよりも、特定の誰か(自分含む、時に複数)に向けて書いているように感じます。
コメントを頂くというのはそういうことにも気づくきっかけになるのでありがたいです。
Posted by けいた at 2006年09月23日 10:27
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