2006年05月24日

欲望と信念

昨日お会いした学生さんにお話したこと。

「したいことを仕事にしたい」とはよく聞く言葉です。「やりたいことしかしたくない」とはこれまたよく聞く言葉です。バリュークリエイトの場合、「おもしろいことしかしない」になります。

ですが、その中身はものすごくよく考える必要があります。

「したいことを仕事にしたい」「やりたいことしかしたくない」と思うことは人間として自然なことです。一方でみんながみんなしたいことだけしていては社会が成り立たないという批判もあるでしょう。したいことだけしていては生きていけないという批判もあるでしょう。ここでは、その「したいこと」が欲望なのか信念なのかを問いたいと思います。

単なる人間の欲望は、わがままであり、かつ、継続性のないものです。人間の欲望は根源は同じでしょうが、その表面に現れるものは様々です。「したいこと」は人それぞれ、また時によって違うでしょう。「したいこと」が単なる欲望であればそれはまた移ろいやすいものなのです。更に言えば、欲望で集まった集団(場合によっては会社または社会)もまた移ろいやすいのです。何故なら「したいこと」でなくなった人から離れていくからです。または「したくないこと」が少しでも現れた段階で人が離れていくからです。そしてそれは移ろいやすいものであるが故にすぐ起こります。

一方、それが信念である場合は違います。

信念でそれが「したいこと」である場合は、それは社会に通じます。何故ならそこに責任や使命がこめられるからです。それは確固たるものであるが故に移ろいにくいものです。また「その信念としてのしたいこと」であれば「欲望としてのしたくないこと」をも吸収してしまいます。

例え話をしてみましょう。

「お金を儲けたい」が欲望だとしましょう。その場合、お金が儲からなくなったり、お金に見合わない「したくないこと(しんどいことや困難なことや衝突)」が起これば、やめてしまいます。あるいはそれで集まった集団はすぐに崩壊します。
では「お金を儲けたい」を信念だとしましょう。(例えが良くないと思われる方もおられると思いますが、わかりやすさとなしではないということで。)その場合は、お金が儲からなくても、お金に見合わない「したくないこと」が起こったとしても、お金が儲かるまで続けるでしょう。なんとしてでもお金を儲けたいからです。逆に言えば、お金が儲けたいから何にでも立ち向かえるでしょう。

同じように「○○を作りたい」が欲望だとしましょう。その場合、○○が作れなさそうであったり、割に合わないしたくないことがそれに伴うとやめてしまいます。そして、それではわがままが通じる程度のものしか作れないでしょう。
「○○が作りたい」が信念だとしましょう。その場合、したくないこと(あらゆる困難)にも立ち向かいながらきっと実現するまで続けるでしょう。そして、そういった信念こそがものを生み出してきました。そしてそれは社会に通じてきたのです。

目先の「欲望としてのしたいこと」に振り回されず、「信念としてしたいこと」を見つけることがとても大切です。物事の実現には信念と信念であるが故の継続しかないのです。そこには共感した人々がついてきます。そしてそれが社会に通じるのです。
posted by 奥田圭太 at 06:24| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム:言葉津々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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