2005年12月21日

京都の伝統に思う2〜ARTとINDUSTRY〜

伝統産業はこの日本で残るのでしょうか。
伝統産業はこの日本で残すべきなのでしょうか。

このことについては産業界・芸術界・学術界で様々な見解があると思います。たとえば、伝統産業は時代の中で不必要になれば資本主義に淘汰される(べき)。たとえば、伝統産業は高い技術力があり、時代に応じて新しい分野で残る(べき)。たとえば、伝統産業は担い手の不足により、成立し得ない。海外に移る(しかない)。たとえば、伝統産業は日本の文化であり、その高い芸術性は保護する(べき)。たとえば、伝統産業は日本人の特性を反映しており、海外には移りえない(はず)。たとえば、伝統産業は現代の最先端技術で解析・再現可能である(はず)。

これらの諸説は全て正しいように思われます。
ただし、全てに大きな矛盾をはらんでいます。
矛盾と言うよりも根本的な葛藤と言うべきでしょうか。

伝統産業とはARTなのでしょうか、INDUSTRYなのでしょうか。

産業である以上はINDUSTRYであり、資本主義の中で変革が求められるでしょう。そうなれば効率化・コストダウンの中で機械化・海外拠点移動は求められるでしょう。そうなれば高い技術力は他の分野へ進出するような革新が求められるでしょう。
一方で伝統産業を思い出すとき、多くの人はときにその美しさに魅了され、そこに「日本」を感じ、そこに高い芸術性を見つけることでしょう。そうなれば日本の文化ARTとして保護するべきという議論が生まれるでしょう。
一方でARTは保護するものではなく、時代とともに変化するものであり、そういう意味で今の伝統産業は新しい「日本」文化の形成を阻害しているのでしょう。

つまり、伝統を捉えるときにはそもそもの前提を見直す必要があります。

伝統産業というフィールドに出たときはやはり資本主義の論理の中で生き残りの競争にさらされます。その中で生き残っていくには上記のように効率化か変革に対応できなければ消えていきます。資本主義の論理で保護はありえません。(この議論は次の章でもう少し考えてみたいと思います。)
伝統芸術というフィールドに出たときはやはり芸術として資本主義の論理から外れた変革にさらされます。逆に言えば、資本主義の論理から外れ、「日本の独自性」「芸術性」を追求しなければ伝統芸術とは言えません。つまり、資本主義から距離を置くための必要範囲内の保護で、時代とともに更なる高みに昇華していかなければなりません。

今後は伝統「産業」と伝統「芸術」の明確な区別から始めたいと思います。そこを整理したうえで物事のルーツを追究することは本当に面白く、興味は尽きません。


posted by 奥田圭太 at 08:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 特集コラム:伝統 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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