2008年06月17日

為になる話

「ためになる(なった)」「ためにならない(ならなかった)」という判断があります。これは研修や勉強会や読書など、あるものを求めて吸収しに行く、という姿勢を示す対象に対してよく使われる言葉です。

「為」には役に立つという意味があるので、多くの場合求める「あるもの」とは知識や知恵・経験を指します。それが自分の求めているものなのかどうか、あるいは自分の関心のあるものなのかどうか、自分の関係する事柄かどうかという「自分に密接につながりがあるか」という自己都合で判断されるものです。

そういう意味ではどういうものを提供するかや行われる内容がどういうものかでためになるかどうか判断されるのではなく、受け手にとってどうかということで判断されるのです。発信者の優劣ではなく、受け手主体のあくまで判断なのです。

逆に言えば、受け手次第でもあるのです。「ためになる」ものを求めるのではなく「糧にする」のです。仮に遠く離れたものであったとしても今の自分にいかに照らして結び付けて考えられるかです。あるいは反面教師として自分を確認できるかです。発信者から物事を受け取るということは他者や社会との接触であり、自らを省みる格好の機会なのです。

自分に関係ない関心がないと捨て置いてしまうのは容易なことです。ですが、そこに関係性を持たせ、言葉を置き換え、自分の糧としていくことができれば何でも「ためになる」ものへと変貌します。何事からも大切なものを吸収していくことができるのです。

昨日お会いした方が「自分と領域の違う人こそ大切な人脈だ」とおっしゃっていました。そういう人が世界を広げていくのです。
posted by 奥田圭太 at 11:59| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム:言葉津々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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