2013年10月21日

撮影について

今回、様々な角度から撮影をしています。

before→afterではありませんが、復元前・復元後の姿はもちろんのこと、そこに至る過程や関わる人の思いを残せたらと思って、利用用途は定まっていませんができるだけ記録素材として残しておこうと思っています。

1.静止画撮影1
復元前・復元中・復元後の「物件の姿」を担当施工業者様に撮影いただいております。復元後に物件にお越しになられた方に物件のことをもっと知っていただくためにアルバムや説明ファイルにしてお見せしたいと思っているからです。

2.静止画撮影2
復元に携わってくださる方々の「人物像」を撮影しようと思っています。大工さんの手仕事の姿やこの物件に思いをかけてくださっている方々の表情など、職方さんを中心にその姿も作業風景も残しておきたいと思っています。

3.動画
復元前・復元中・復元後の「物件の姿」「人物像」をプロの撮影業者様に撮影いただいております。あくまで素材をできるだけ多く正確に残すために撮影いただいております。最終的にドキュメンタリーのような記録として残すのか、プロモーション用に活用するのか。町家の教科書とは言いませんが、公正に役立つような素材になったり、アーティストの方々の創作意欲を湧き立たせるような素材になればと思っています。

4.デジタルコンテンツ
(1)blog
このブログです。復元に携わっている人たちの思いをできるだけリアルタイムに、そして後々振り返った時に記録として残っているように今から書き連ねていっています。初心忘るべからず。そして後々物件に興味を持ってくださった人たちが思いを感じていただけるように。
(2)facebook
実はすでに始めています。こちらには物件の復元風景をリアルタイムに画像アーカイブとしてUPしていっています。こちらも後々物件に興味を持ってくださった人たちが記録として振り返ることができるように考えています。

ほかにもできるだけ素材を残しておき、様々な形で記録としてデジタルアーカイブとして、多くの方々の目に触れるように、何よりも後世に継承されるように意識して制作していく予定です。

誰か、ドキュメンタリー番組にしてください。誰かプロモーションビデオにしてください。だれかCM制作してください。なんて言ってみる。
posted by 奥田圭太 at 04:15| Comment(2) | TrackBack(0) | The terminal KYOTO | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月09日

行政まわり

今回のプロジェクトを進めるにあたって、関係する可能性がある行政は片っ端から回ってみています。できるだけ多くの人の考え(方針)を聞いて、できるだけ多くの人に活用していただけるインフラになりたいと思っているからです。

京町家の可能性。京都で暮らすことの可能性。京都が持っている衣食住のコアリソース。京都と外の血(智)が触れ合うことで起こる化学反応、雑多な人たちのざわつきが起こすエネルギー、移り行く仕事観や幸福論。際限のない可能性がここには詰まっていますし、それを現出させる触媒機能こそが私たちの役割です。小さな可能性を一つ一つ紡ぎあげていくことを大切にしたいと思っています。

これまでに京都府山下副知事へのプレゼンをはじめ、京都府各所、京都市都市計画局の景観などの町家関連はもちろん京都市各所(具体的には観光や京野菜やアニメや水産や伝統工芸や水道局…)、中央省庁でも環境省と経済産業省に出入りさせていただいております。これからも意見交換を続けさせていただくつもりです。

私たちは行政を使って何かをしようとしているのではありません。行政でできないことこそ民間の私たちがやるべきです。それよりも行政の方向性や皆さんの目指していることを理解したうえで、その推進力の一つになりたいのです。

今回「相方向コミュニケーション」という言葉をテーマに掲げています。自分たちの意見と他者の意見をぶつけ合うことでもう一度様々なものを再定義していこうという試みです。だからこそ、多くの人の意見に耳を傾け、私たちの意見も大いにぶつけたいのです。
posted by 奥田圭太 at 23:42| Comment(0) | TrackBack(0) | The terminal KYOTO | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月08日

2013年祇園祭参加

2013年7月は例年になく祇園祭にかかわった気がします。

この頃の私は別の仕事で地方出張だらけでした。一方で、念願の京町家を借り受けることがほぼ決まって仮契約のやり取りを始めたのもこの頃です。

京都生まれ京都育ちの私にとって祇園祭は身近なもので決して珍しいものではありません。小さい頃は父の仕事関係で山鉾の大工さんとも懇意にしていたのでほんとに近しいものでした。それでも参加といっても宵山で出店の食べ物にわくわくする程度。それが今年は違います。自分たちの居城がまさに祭りの中心地にあるのです。目の前に鉾が立っています。2階の窓から見下ろした光景は筆舌には尽くせません。わくわくはもちろんですが、裏側にある伝統の重みや責任に怖ささえ覚えました。

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物件の軒から見た光景です。岩戸山という山鉾が目の前にあります。

このタイミングで物件所有者様の後押しもあって岩戸山の町の方々ともご挨拶できました。一部の方には予定している事業構想などもお話しさせていただきました。祇園祭が、これからこの街と生きていくんだという思いを強くする機会になりました。今までの祇園祭参加とは全く違う感情です。

2014年(来年)からは自分たちも祇園祭の主体者であり発信者です。それまでにこの物件や岩戸山町を活性化させ、今まで以上の祇園祭にしたいと思います。たくさんの方に来て岩戸山を楽しんでいただけるように準備を今から進めていきます。
posted by 奥田圭太 at 18:11| Comment(0) | TrackBack(0) | The terminal KYOTO | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月03日

物件所有者様、施工業者様のご縁と感謝

今回の復元プロジェクトは多くの人に支えられています。その中でもまさに一緒になって取り組んでくださっているのが、当たり前のことですが物件所有者様と施工業者様です。

物件所有者様とも不思議なご縁でした。物件を最初に見つけてくださった方もよくご存じの方でした。単なる貸主・借主の関係ではなく、直接お会いできて何度も何度も色々と意見交換させていただけたのも、Tの知人の会社が物件所有者様の会社とお取引があったからです。初めて伺った時にはTが大好きな作家様とも関係が深いことを知り、感銘を受けたものです。今ではこの方のご支援なしにこの事業は開始できないと痛感しております。頭の回転、ふるまい方から学ぶところも多く、そのご人脈から様々な方とのつながりもバックアップいただいております。

施工業者様と知り合ったのは、私が携わった映画「はんなり」がご縁でした。映画撮影にご協力いただいた方が町家でご商売をされていて、ご自身の町家を修復した際に依頼した先が今回の業者様でした。これもTがたまたまお会いした時に町家への関心の話をしたのがきっかけで「ほしたら、うちをやってくれはったとこを紹介しま」と粋な計らいでおつなぎいただけたのです。まずは町家のことをいろいろ勉強させていただき、今回のプロジェクトがまだまだどうなるかもわからない段階から色々とご相談に乗っていただきました。そして今、物件所有者様にもご納得いただき、復元はこの施工業者様にお預けしております。余談ですが、今回の設計士様、施工業者様、私、三人とも名前に「圭」の字が入っています。初めて三人で名刺交換させていただいたときはほくそ笑んだものです。

物件所有者様、施工業者様、そして私たち、それらの思いを乗せてこのプロジェクトは走り出しました。
posted by 奥田圭太 at 19:59| Comment(0) | TrackBack(0) | The terminal KYOTO | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月01日

物件との出逢い

その物件は突如として現れました。

私が懇意にしている社長様に行政に行ってきた感想を日常会話の中でしていました。私がやることにはなんでも親身になってくれる方でこのときも「そうか〜、面白いけど大変やなあ。大型の物件なんてどこにあるかなあ」と真面目に考えてくださりました。そのときはお互い不動産畑でもないので、ましてや古民家となればなおのことで雑談の域を出はしませんでした。

ところが数日後、突然その社長様から連絡が来ます。「すぐそこに大型の町家があるみたいで、売りに出るかもって聞いたで」と。灯台下暗しでしょうか、京都オフィスから本当にすぐの場所でした。外観を見ただけで私は運命を感じてしまいました。

しかし、このときはまだ、大型物件で何かできないかと考え始めたばかり。購入するには億単位の資金も必要ですし、借りるにしても改装費も莫大、そもそも借りて何をするよ!?という状態です。それでも運命を感じてしまったのです。市内の中心地ですから、売りに出てしまったら不動産業者が買ってマンションかホテルにでもなってしまうではないか。そんな危機感もあってすぐにTに連絡し、資金のことなど考えずにその物件を押さえるために動くことに決めました。

それから伝手を頼って不動産会社通じて物件の内覧をさせていただき、これまた偶然の伝手が表れて物件所有会社の代表者様に直接プレゼンさせていただく機会も得ました。ここからは縁故だけでどんどんとつながっていき、当初懸念していた問題も忘れてしまうくらいにその物件に吸い寄せられていきました。関わる人それぞれが運命を勝手に感じていたに違いありません。

私はこの物件を初めて内覧した日を今でもはっきり覚えています。2012年12月のことです。

表からは想像もつかない奥行。そして鬱蒼とはしていたものの立派な庭。ただまっすぐに伸びる小路。表から廊下を伝って庭に抜けるまでのその風が抜けていくのを肌で感じる1階。2階の和室から見下ろした岩戸山の風景。そのすべてが貴重であり愛おしいものでした。
posted by 奥田圭太 at 23:44| Comment(0) | TrackBack(0) | The terminal KYOTO | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

物件選びの勘違い

思い起こせばちょうど1年前です。

2012年10月頃、Tと私は「いい歳になってきたし、そろそろ京都に何か恩返ししないとな」というのが口癖になってきていました。お互い事業ではそれなりに飯は食べられているし、純粋に京都で何かに取り組みたい、そんなことを漠然と考えていたとき、Tから「町家守れないだろうか」という言葉が発せられました。この言葉がきっかけで2012年11月からこのプロジェクトはスタートします。

当初、私たちが考えていたのは狭小物件など空き家として放置されている物件を我々の資金で復元して「長期宿泊型(生活型)旅行プラン」を提供するというもの。その旅行代金を町家持ち主とシェアするというものでした。空き家になって放置されているものはどんどんつぶされて景観も何もボロボロになっていく、そこを自分たちで何かできないか、と思っていたのです。

しかし、この短絡的思考はすぐに覆されました。2012年11月に行政機関などにヒアリングに行ってみると、大型物件にこそ困っているというのです。理由は(1)狭小物件は言っても規模が小さいので改修資金を行政としても助成できる規模(2)狭小物件は規模が小さいので流通しにくい。転売しても買い手が付きにくい。そのまま使えない、壊して建て替えるにも狭小で用途が限られる。というものでした。他方で(1)大型物件は行政で助成するにも規模が大きく、結果的に所有者負担が大きい(2)大型なので土地価値として流通しやすくマンションや駐車場にするなってしまう。というものでした。事実、大型物件ほどなくなっていっているのです。

大型物件ほど所有者が困っていて、行政としても支援しきれない。じゃあ、私たちでやろうじゃないか。

ここから私たちは考えを一新して理念から事業プランからすべてを白紙に戻して考え直します。併せて行政だけでなく民間の方や京町家を実際にご利用の方や工務店の方にもヒアリングを実施します。

そして、まだ漠然としていたとき、物件は突如現れます。
posted by 奥田圭太 at 13:17| Comment(0) | TrackBack(0) | The terminal KYOTO | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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