2008年05月07日

あることはすごいことである

モノを与えられたり手に入れることができると喜びを感じます。与えてくれた人やモノに感謝し、手に入れた自分を褒めます。ですが、ひとたび手に入れてしまえば、いつの間にかそれは当たり前のことになって行きます。あることが当たり前だと勘違いしたとき、感覚は麻痺し、感謝を忘れ、逆にないことを嘆いたり不平を言ったりするようになります。

モノが「ある(現在)」というのはそれだけですごいことなのです。

「なかった(過去)」ことや「なくなる可能性(未来)」を忘れてしまってはいけないのです。

それらを忘れてしまったとき、与える側は与える価値を認められず与えることをやめるでしょう。それらを忘れてしまったとき、失ってから後悔することでしょう。

仕事で言えば、オフィス・机・パソコン・給料・コピー機に筆記用具類・・・数え上げればキリがありません。日本での生活で言えば、公共施設・トイレに紙・レジ袋・夜間照明・道路・・・数え上げればキリがありません。私たちが日常生活を送っているところがキレイなのは誰かが代わりに掃除してくれているからなのです。

起業をすれば、それらは自分で稼いで自分で用意しなければいけないのです。つまり、稼げなければなくなるのが当たり前なのです。海外に行けば、それらは自分で用意しなければいけないのです。なくて当たり前なのです。

自分の行いに対して当たり前の水準を高く持ちましょう。それが自分に厳しく、他人に優しくということです。他人の行いに対して当たり前の水準を低くしましょう。そうすれば争いは起こりません。ないことを嘆くのではなく、あることに感謝すれば、心穏やかに過ごせます。

そしてその感謝の積み重ねが「未来のある」を担保するものなのです。


posted by 奥田圭太 at 16:39| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム:言葉津々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

代という言葉

あるアンケートに答える機会があって、先日30歳になったばかりの私は一瞬の戸惑いを覚えながら「30代」に○をつけました。

この戸惑いはどこから来るのでしょうか。ひとつはつい最近まで20代に○をしていたのが移動したという単純な変化に対する戸惑い、同様に自分が30歳になったことを新鮮に驚く戸惑いでしょう。もうひとつはおそらく心のどこかに20代への別れの寂しさや一種のしがみつきがあるのでしょう。

私は早く大人になりたいと小さいときから思っていました。それは早く30歳になりたいと同義であったこともありました。一方で30歳で止まりたいと思ったこともありました。

今、私は30歳になりました。そこには劇的な変化は何もなく、30歳への失望もあるのかもしれません。生活に変化があったわけでもなく、心にも身体にも突然変異はもちろん起こっていません。

20歳になったとき、少しでも大人に見せたいと20代と声を高らかに宣言していました。30歳になったとき、少しでも若く見せたいと30代というものに加わらず30歳であり続けたいと叫ぶ心があります。ここでは「代」ではなく「歳」なのです。

あれほどまでになりたかった30歳、私はまだその取り扱いに慣れていないようです。
posted by 奥田圭太 at 12:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 会社の出来事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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