2008年01月04日

つれないという反省

「つれない」という言葉があります。

(形)[文]ク つれな・し
[一]人の気持ちを思いやろうとしない。思いやりがない。冷淡だ。無情だ。「―・く断る」「―・い仕打ち」「―・い人」
[二](1)そしらぬ顔をしている。よそよそしい。平然としている。
「―・き顔なれど、女の思ふこと、いといみじきことなりけるを/大和 149」(2)思うにまかせない。意のままにならない。「しかも―・く過ぐるよはひか/古今(雑上)」(3)変化を示さない。もとのままだ。「あかあかと日は―・くも秋の風(芭蕉)/奥の細道」「雪の山―・くて年もかへりぬ/枕草子 87」(4)恥知らずだ。あつかましい。「恥ある者は討ち死にし、―・き者は落ちぞゆく/平家 8」〔「連れ無し」で、関係がないさまを表すのが原義。古くは[二](3)のように自然現象に対しても用いられた。平安時代には一の意でも用いられ、次第に対人関係における冷淡さを意味することが多くなった〕[派生] ――げ(形動)――さ(名)
                   (出典:三省堂提供「大辞林 第二版」)

この言葉を教訓としたい。「将として動じない」というのも大切な教訓です。この両立は十分に可能なものです。

何事に取り組むにあたっても、最後まで動じず自分を信じてやりきることはとても大切なことです。それができなければ何事に対しても逃げてしまう癖がついてしまいます。自らの手でやり遂げるというのは物事の根底なのです。

ですが、それは「周りに知らせない」ということは意味しません。自分で計画し自分で実行する、必要な人を使うということはとても大切ですが、状況はきちんと伝えなければ誤解や混乱を生んでしまいます。信頼はほんの5分のことで作られ、壊れます。信頼できる相手への報告は率直かつ単純で済むのでとても容易なことですが、だからこそ手を抜いてしまいがちです。その簡単な5分の省略がずれ始めると大きなことになってしまうのです。単純だからこそ重要なのです。

取り組むべき「物事」に対峙するとき、最終責任を負う者は決して動じてはいけない。一方で取り組むべき「人」に対峙するときは、決して手を抜かず、信頼できる相手にこそいい意味での気を遣い、自分の中にあるものをしっかりと伝えることを惜しんではいけない。

「物事」は結果でしか語れません。しかし、「人」は過程でしか築いていけないものなのです。その両立を理解できたとき、第3の価値がそこに生まれます。
posted by 奥田圭太 at 21:27| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム:言葉津々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

いろいろと充電中

本日は京都オフィスに一人でいて、かなりゆったりとしています。お客様もほとんどがお休みの今日は特にすることがあるわけではありません。どちらかというと心身・身辺周りの整備の時間です。

昨日の半日をかけて大掛かりな作業に励んだために右手の指先が痛いのですが、その作業の内容は本日京都オフィスに来た人にしかわかりませんので、たぶん誰にもわからないことでしょう。くしゃみもやや止まりません。

現在、9時30分。ひたすら充電中です。

文字通り、充電しているのです。機材関連の充電に必要なものを全て持ち込み、携帯電話にパソコン、デジカメにラジコン・・・、思いつくものは全て充電のためにコンセントに突き刺してあります。

私としては年末にやりきれなかった銀行の整理と年末にやりきった1年の振り返りと整理の見直しをじんわりじんわりとやっております。こちらは私自身の充電といっていいでしょう。

今日・明日と京都オフィスで会社関連と個人関連の諸手続きや整備関連を終わらせる計画です。本格稼動に向けて暇にぼけっとしております。京都にお越しの方は是非お立ち寄りください。
posted by 奥田圭太 at 09:39| Comment(3) | TrackBack(0) | 会社の出来事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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