2007年10月10日

学生団体Drista主催【大阪秋の陣】参加

学生団体Drista主催【大阪秋の陣〜この秋を征する者は、就職を征する〜】に8日(月)に参戦してきました。急きょ参戦が決まったにもかかわらず、パートナーや友人も一緒に参加してくれました。運営側の学生さんたちも非常に厚く対応してくれて安心して参加できました。

10社以上の企業さんに120名近くの学生さん。社会人1名に学生6〜7名でグループを作って2種類のグループワークを行いました。二つ目のグループワークは正直言って内容が面白くなかったのですが、各グループの発表は自主性にもかかわらずほとんどのチームが発表することになりとても熱気を帯びたもので、若いパワーを肌で感じることができました。

一番新鮮だったのは一つ目のグループワークです。バリュークリエイトという会社について学生が私にヒアリングをし、バリュークリエイトという会社を別のグループに学生が説明するというものです。「在り得ない会社」がどこまで理解されるのか、どういう理解のされ方をするのか、私にとってもチャレンジングで、フィードバックで得られるものも大きかったです。

中でも私の話を聞いて「会社を一文字で表すと」というものに対して「学」「共」というものを彼らは提示してくれました。お客様と共に学びながら成長していく姿や、完成したサービスを提供しているのではなく会社自身も学びながら創られていっている姿や、いろいろな人と知識や知恵や物理的なものまでも共有していく姿を彼らはしっかりとイメージしてくれたのです。そのことには本当に感動しました。理念である「3」という数字や「共有」というキーワードの意味がしっかり伝わったということと、自分たちがやっていることの価値を彼らに教えてもらったように思えたのです。

会場全体を見渡すと、知っている学生が多いことにも驚きました。どこのグループに行っても誰か一人くらいはいるのではないかというくらいです。それだけ自分がたくさんの学生さんとここ1年で触れてきたのだという事実を実感したこともありますが、結局そういう学生は集まるところに集まっているという事実に納得と一抹の寂しさを覚えました。
posted by 奥田圭太 at 17:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 会社の出来事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ボランティアの強要

ボランティアでやっていることを強調する人がいます。(最近、そういう大人に出遭うことが度々あって寂しい気分になっています。)強調することの裏側には「やってあげている」という押し付けのようなものをとても感じてしまいます。

ボランティア 【volunteer】
自発的に事業に参加する人。特に、社会事業活動に無報酬で参加する人。篤志奉仕家。(出典:三省堂「デイリー 新語辞典」)

ボランティアとは自発的に行うものであって、他人に頼まれて嫌々やるものでも、恩の押し売りでもありません。にもかかわらず、他人からの評価を求めてボランティアという言葉を掲げる人がいます。「無償でやっているのだからえらい」「無償でやっているのだから責任は取りたくない」「無償でやっているのだから感謝しろ」です。だったらやらなければいいのに、とその響きから感じてしまいます。そしてこの強調はとても相手を傷つけるものなのです。

「協力」というものをされた側はとても感謝をしています。できれば有償にしたいけどできないことを歯がゆく思っていたり、せめて何かを得てもらおうと頑張っているものです。少なくとも最近見たボランティアという人(社会人)に対して提供された人(学生)は精一杯の対応をしていたように思われます。ですが、それらの全てが「ボランティア」という発せられた言葉で全てが崩れ落ちたように思います。

ボランティアは自発的に行うものです。みずからそこから得られるものを求めるものであって、他人からの見返りを求めるものではありません。確かに無償で協力しただけであっても、そこに自発性が伴えば、自ら学ぶ謙虚な姿勢や何かを得ようという積極性があれば、必ず何かを得ることができます。それは決して無償ではないのです。

ボランティアとは、金銭的には無償であっても、必ず何かを得ることができるものなのです。そしてそれは金銭的に無償であろうが有償であろうが同じことです。それは他人に依るものではなく、自分自身に依るものなのです。その点において、ボランティアであることをわざわざ他人に伝えることには意味はないのです。
posted by 奥田圭太 at 12:43| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム:言葉津々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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