2007年10月07日

読書の功罪

読書にもいい面と悪い面があることは意識しておくべきです。その意識なしに読み終えてしまうと結果として悪い面が際立ってしまいます。もちろん読書にはいい面がたくさんあります。体系的に物事を整理できたりだとか、単純に知識量を増やせたりだとか、他人の視点を知れたりだとか、想像力を刺激されたりだとか、・・・・キリがありません。ですが、それらは悪い面を理解していてはじめて有効に作用するのです。

本日、電車内で就職活動生らしき人が一冊の書物に目を落としていました。その題名は「証券会社」そのままです。昨日「金融に関する勉強会」を開催した人間としては、よくもまあ証券会社の説明だけで1冊の本が書けるものだと、本にして売るためにページを無理矢理増やしたに違いないなんてことを思ったりもしましたが、大切なことはもっと奥にあります。

(1)説明本に書いてあることは表面でしかありません。
(2)表面に関してもたくさんのことが抜け落ちています。
(3)仮に網羅されていたとしてもあくまで知識であり、それらはリアルではありません。
                   (ここでは便宜上文芸作品を除きます)

本を書いた人は当人でしょうか。当人だとすればそれは極めて私的であり、主観的なものです。そこでは他人の視点を学べたとしても真実を知ることはできません。他人が客観的に書いたとしても、それはその人の主観であるか、極めて客観性を持たせるためになされた表面でしかありません。

また、取り扱うものが概念的や非常に範囲の広いものであれば、全てを網羅することは物理的に不可能です。その本は「日本の証券会社比較」などと謳っていましたが、日本の証券会社は外資系を含めて300近くあるはず(さらに証券会社に類するものを挙げたらキリがないでしょう)ですから全社を比較しているとは思えません。多くの会社が登場せずに全てを伝えたつもりでいるのです。つまり、そこに書かれていることが全てではなく、多くの情報が欠落しているのです。

そして、最も重要なことは、あくまで情報や知識であり、自分というものをそこに投影するにはリアルではないということです。それまでにそれらに自分としてリアルに触れていて、それを知識や他人の考えから自分の考えを持つのであれば十分な価値があると言えるでしょう。ただし、もし自分としてリアルに触れたことのない事象であれば、あくまで参考知識や他人の考えを知っただけであり、自分のフィルターを通すことはできないのです。

決して本に書いてあることで全てだと思わないでください。本に書いてあることが全て真実だと思わないでください。それらは全て断片であり、他人の主観に過ぎないのです。

読書をしてわかった気になるのは極めて危険です。本は導入のきっかけや予備知識、あるいは後に物事を整理したり補完するのには十分な威力を発揮しますが、自分自身の血肉になるには欠落している部分が多くあるのです。自分がリアルに触れた何かと結びついてはじめて血肉となるのです。

こういったことを意識せずに、読書だけで物事を判断してしまうことは、自分で判断しているのではなく、自分を放棄して他人の判断を鵜呑みにしているだけなのです。逆に言えば、読書に対して自分をしっかりと投影し、自分のフィルターを通せたとき、その本は血肉として最大限の効果を発揮するのです。
posted by 奥田圭太 at 22:28| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム:言葉津々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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