2007年06月28日

罪を忘れて人を憎む

「罪を憎んで人を憎まず」という諺があります。

罪(つみ)を憎(にく)んで人を憎まず
犯した罪は憎んで罰しても、罪を犯した人まで憎んではならない。「其(そ)の罪を憎んで其の人を憎まず」《「孔叢子」刑論から》罪は憎むべきであるが、その罪を犯した人は憎むべきではない。(出典:大辞泉)

ですが、溢れ出す情報の波に情報が過多になり、いつの間にか情報が定着しなくなってきました。情報が情報に消されていくような気がします。「天才脚本家(後藤ひろひと作)」という作品もあったのですが、情報は情報の上塗りによって風化されるようです。そのため私たちは単一の情報から物事を記号化するようになって来ました。よくあるのが一問一答です。思考のプロセスは省略され、単一の事柄は単一の答えに結び付けられます。何か悪いイメージがつくことをした人は「悪い人」となり、そのイメージを作った原因が何であるかは風化されてしまいます。そこには何故(WHY)が完全に欠落されます。

一度楽を覚えると元に戻るのは難しいことです。一度思考のプロセスを省略して短絡的に物事を考えてしまうと「考える」ということそのものが億劫になってしまいます。更にはすぐに答えを求めてしまって誤った判断を積み重ねていくことになってしまいます。物事はその場に全て捨て置かれていってしまいます。情報や思考や経験が層として積み重ならずに、いつまでもうすぺっらいものなってしまいます。

楽を覚えてしまってはいけない。物事は決して一面だけではない。そんな単純なとても難しいことが、情報の波に飲まれて、どんどん消え去っていないかとても心配です。物事を流してしまわないで欲しい。記号化するのではなく文章化して欲しい。その「考える」ということが物事に深みと味わい、人間の情緒を加えるのですから。
posted by 奥田圭太 at 18:45| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム:言葉津々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

前職との奇妙な関係

いつもの道を歩いていると後ろから声がしました。その主は前職時代のスタッフさんです。クライアント先を巡回して事務をしてくれる法人営業には心強いサポーターです。その方が「おくださ〜ん」と遠くから声をかけてくださいました。

この出来事で前職の特性を思い出しました。私の前職は大手都市銀行です。皆さんもご存知かもしれませんが一般に言われているのが「3年で転勤」です。私の知りうる事実としても総合職の多くが1年半〜3年で次の部署へと異動します。このことが何を意味するかと申しますと「退職して2年を経た今となっては在籍していた支店の総合職はほとんど異動して入れ替わっている」のです。以前にも書きました(→コチラ)が「そして誰もいなくなった」にすぐになってしまうのです。

退職前に在籍していた支店を見返してみると、確かに私が在籍中にいた総合職はわずか1名です。数十名が入れ替わっています。ほとんどが知らない人になっているのです。(厳密には別の形で顔を合わしたりしているので知っている人は多いのですが、一緒に働いた仲間はほぼいません。)

ですが、今日お声かけいただいたスタッフさんは違います。基本的に異動というものがない役職なので皆さんおられるようです。その方々がお元気であるということが知れただけでもすごく晴れやかな気分になれました。

あの支店にもまだ自分のことを覚えてくださっている方がおられる。その温かさにただただ感謝するのみです。特にスタッフさんたちはベテランで、新入行員の私を、技術的にもご教授いただき、心の面で大きく支えてくださいました。その思い出にたった一瞬で戻される懐かしくいとおしい声でした。
posted by 奥田圭太 at 04:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 会社の出来事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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