2007年06月30日

「ダフト・パンク エレクトロマ」

金持ちの大学生が撮ってみたいものを撮って並べたような超B級以下映画。映画を初めて撮る人がやってみたい(やってしまう)ことが詰まりに詰まっています。

「映画監督になってみたい人」や「予算があったらこんなことをしてみたい」という人にしかわからないであろう作品です。ストーリーを追うことにほとんど意味はありません。ただ「撮ってみたかった」です。「映画にしてみたかった」というただただそれだけです。

私は大学生のときに自分で初めて映画を撮りました。デジタルカメラを使った自主制作です。だからこそ気持ちだけがやたらと分かり、苦笑とも爆笑とも取れないような、懐かしさを感じるような笑いをこらえるのに必死でした。多くの人は睡魔と戦い、あるいは負けるに違いありませんが。

空撮とかしてみたいよな、CG使ってみたいよな、爆発シーンは入れたいよな、夕陽に向かって歩きたいよな、広いところに人一人とかカッコいいよな、友情は描くだろ、走行シーンはマスト、こういう角度で撮りたいな、こういう機材使いたいな、BGMはかっこよく、おしゃれにしなくちゃ・・・なんてものが詰まっているだけです。しかも性質が悪いからいっぺんに全部詰めこもうとします。そして「映画だから尺は60〜90分いるよな」です。だからやたらとグダグダと長くなりますし、意味のないシーン満載です。「映画にしたい」という自己満足です。

私もあのとき、映画を撮りたかった、だからいろんな撮り方をしてみたかったし、60分以上の尺に憧れた・・・前者はお金の限界でできる範囲は限られ、後者は自分で観るのもつらかったのでカットしまくって止めましたが・・・。

エンドロールの延々流れるスタッフたちの名前。これだけの予算とこれだけの人を使える。そんなお金が許された素人が初めて映画を撮ったことが全編に溢れるものでした。

■作品概要
題名/「ダフトパンク エレクトロマ」
2006年/イギリス/エイベックス・エンタテインメント ロングライド
監督/トーマ・バンガルテル ギ=マニュエル(ダフト・パンク)
出演/ピーター・ハートゥ マイケル・ライヒ
会場/京都みなみ会館
人間になりたいと願う2体のロボット。眩しく光るヘルメットを被り平穏な日常を送る住人たちは、同じ風貌の彼らのことを特に気にする様子もない。だが彼らはそんな幸福な風景に背を向け願いを叶えるべく最先端の機器と科学者に身を委ねる……。
posted by 奥田圭太 at 22:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・映画・舞台・ライブ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

寄贈のお願い

いよいよ秘密兵器の導入も終了し(→コチラ)、来週には京都オフィスが新規OPENになります。7月3日(火)より正式に開設いたします。それにつきまして、この場をお借りして皆様にお願いがございます。

お手元の書籍をご寄贈願えませんか?

京都オフィスには、多くの「起業をしている(目指す)社会人」「キャリア形成中の若手会社員」「何かに燃えている学生」が頻繁に出入りする予定です。そんな彼ら彼女たちに共有の資産として皆様からいただいた書物を提供したいと考えております。具体的には「共有本棚」を設置いたします。
DSCF0653.JPG  DSCF0684.JPG
現状はこのようになっております。(今並んでいるものもご寄贈いただいたものです。)この本棚に様々なジャンル・様々な視点の書籍を並べていきたいと思っています。

もちろん私が買ったりしたものを並べていけばいいのですが、多様な考え方を育成するために一人の嗜好に偏ってはいけないと思い、できるだけ多くの方からのご協力を仰ぎたいと考えました。そこでお一人様にどかっとご協力いただくのではなく、1冊単位でできるだけ多くの方のご協力をお願いしたいと思っています。

お手元で寝ている本をお一人様10冊以内でご寄贈いただけませんか?

ご協力いただける方はバリュークリエイト京都オフィスにご送付をお願いいたします。送付先やお問い合わせはまずこちらにコメントもしくはメールにてお願い申し上げます。ご協力賜りますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。
posted by 奥田圭太 at 10:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 会社の出来事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月29日

秘密兵器納入中

新規に京都で開設するオフィスに秘密兵器を導入するべく、ただいま工事中です。朝から業者さんが来てくださり、今日一日、場合によっては明日の午前中いっぱいまでオフィス工事です。思ったより順調に進んでいますので今日中に終わらないものかと勝手に期待しています。

今、業者さんたちはお昼に出られているので、工事中のオフィスに一人で佇んでいます。まさにリアルタイム中継です。

それにしてもさすが秘密兵器です。

オフィスの雰囲気が全く違うものに変わりました。見た目にも明らかですが、なによりも空気が変わりました。どこもしていない、かなり自慢のオフィスになりそうです。

更には秘密兵器をただ導入するだけではなく、その導入方法・デザイン等にもかなり遊び心を散りばめてあります。いろいろな味わい方をしていただけること間違いなしです。

朝からできるだけ立ち会っているのですが、その雰囲気が変わっていく過程が新鮮で面白いです。見ているだけでわくわくしてきます。思わず今日工事で使えないために休みにしていたメンバーを呼び出してしまっているくらいです。完成したら必ずこのブログでもご紹介します。お楽しみに!

関連エントリー
「備品納入」http://white-base.seesaa.net/article/44747436.html
「ドタバタ段落」http://white-base.seesaa.net/article/44291402.html
posted by 奥田圭太 at 12:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 会社の出来事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月28日

罪を忘れて人を憎む

「罪を憎んで人を憎まず」という諺があります。

罪(つみ)を憎(にく)んで人を憎まず
犯した罪は憎んで罰しても、罪を犯した人まで憎んではならない。「其(そ)の罪を憎んで其の人を憎まず」《「孔叢子」刑論から》罪は憎むべきであるが、その罪を犯した人は憎むべきではない。(出典:大辞泉)

ですが、溢れ出す情報の波に情報が過多になり、いつの間にか情報が定着しなくなってきました。情報が情報に消されていくような気がします。「天才脚本家(後藤ひろひと作)」という作品もあったのですが、情報は情報の上塗りによって風化されるようです。そのため私たちは単一の情報から物事を記号化するようになって来ました。よくあるのが一問一答です。思考のプロセスは省略され、単一の事柄は単一の答えに結び付けられます。何か悪いイメージがつくことをした人は「悪い人」となり、そのイメージを作った原因が何であるかは風化されてしまいます。そこには何故(WHY)が完全に欠落されます。

一度楽を覚えると元に戻るのは難しいことです。一度思考のプロセスを省略して短絡的に物事を考えてしまうと「考える」ということそのものが億劫になってしまいます。更にはすぐに答えを求めてしまって誤った判断を積み重ねていくことになってしまいます。物事はその場に全て捨て置かれていってしまいます。情報や思考や経験が層として積み重ならずに、いつまでもうすぺっらいものなってしまいます。

楽を覚えてしまってはいけない。物事は決して一面だけではない。そんな単純なとても難しいことが、情報の波に飲まれて、どんどん消え去っていないかとても心配です。物事を流してしまわないで欲しい。記号化するのではなく文章化して欲しい。その「考える」ということが物事に深みと味わい、人間の情緒を加えるのですから。
posted by 奥田圭太 at 18:45| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム:言葉津々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

前職との奇妙な関係

いつもの道を歩いていると後ろから声がしました。その主は前職時代のスタッフさんです。クライアント先を巡回して事務をしてくれる法人営業には心強いサポーターです。その方が「おくださ〜ん」と遠くから声をかけてくださいました。

この出来事で前職の特性を思い出しました。私の前職は大手都市銀行です。皆さんもご存知かもしれませんが一般に言われているのが「3年で転勤」です。私の知りうる事実としても総合職の多くが1年半〜3年で次の部署へと異動します。このことが何を意味するかと申しますと「退職して2年を経た今となっては在籍していた支店の総合職はほとんど異動して入れ替わっている」のです。以前にも書きました(→コチラ)が「そして誰もいなくなった」にすぐになってしまうのです。

退職前に在籍していた支店を見返してみると、確かに私が在籍中にいた総合職はわずか1名です。数十名が入れ替わっています。ほとんどが知らない人になっているのです。(厳密には別の形で顔を合わしたりしているので知っている人は多いのですが、一緒に働いた仲間はほぼいません。)

ですが、今日お声かけいただいたスタッフさんは違います。基本的に異動というものがない役職なので皆さんおられるようです。その方々がお元気であるということが知れただけでもすごく晴れやかな気分になれました。

あの支店にもまだ自分のことを覚えてくださっている方がおられる。その温かさにただただ感謝するのみです。特にスタッフさんたちはベテランで、新入行員の私を、技術的にもご教授いただき、心の面で大きく支えてくださいました。その思い出にたった一瞬で戻される懐かしくいとおしい声でした。
posted by 奥田圭太 at 04:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 会社の出来事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月26日

一番に聞く喜び

やっている事業や立場によって「役得」というものがあったりします。今日はそれを実感するかのような濃密な時間を過ごせました。ある社長様の隣で、その社長様が頭の中でめぐりめぐり考えていたことをまとめていく過程をご一緒させていただいたのです。

そこにあるのは社長様の頭の中と一枚の紙だけです。社長様が独り言のように私に語りながら、紙に文字や図形を走らせます。それらは途中でやり直しになったり、私の補助で修正されたりしてどんどん変化しながら、加速的に輪郭をはっきりとさせてまとまっていきます。初めから答えがあるのでしょうが、それに辿り着く過程を社長様自身もまとめながら、今一度納得しながら進んでいきます。

「この人の思考回路はこうなっているのか!」

まさに思考の過程を耳で聞き目で見て体感することができるのです。しかもその出てきた副産物を最初に耳にし目にすることができるのです。結論を知ることをできてもその過程を知ることはあまりありません。結論を見ることはできてもそれを最初に触れることができるのは当事者ならではです。

思考に付き添いできる。これはまさに役得です。生に触れることができる。これはまさに役得です。最初に触れることができる。これはまさに役得です。

自分とは違う起業家の思考プロセスを疑似体験することができました。新しい価値観と視点を疑似体験することができました。こういう体験はエネルギーをかなり使いますが、本当に刺激的で一歩を踏み出す気持ちを支えてくれます。
posted by 奥田圭太 at 19:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 会社の出来事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月25日

スタイルシート12

わずか1ヶ月ちょいでスタイルシートを変更です。Kから「スタイルシートを変更してからブログにアクセスすると遮断されて再接続が必要になる」という報告を受けて、原因を探っていました。そして、前回導入したブログパーツ(→コチラ)が原因ではないかとブログパーツをはずす方向に話を進めました。

そして、タイミング良くSeesaaでも写真を選んでスタイルシートを作るというプチオリジナルシート作成が可能になっていたのでそれに変更です。ただ、いまいち気に入らず外部委託先のI君に相談。そして、大幅にいじってこれが完成しました。名づけて「The Moon」です。黒い背景や輝く緑が月の表面を思わせるからです。今までとはかなりテイストが違うので、違和感と新鮮さが入り混じっています。

しかし、このスタイルシートの寿命も短く終わる予定です。今回の依頼により大きく成長したI君が、ついに「オリジナルスタイルシート」作成を決意してくれました。題材は元々私が望んでいたものになる予定です。それが完成次第差し替えです。楽しみ!

全てSeesaaの付属品で
「ブルー(両サイドバー)」
→年始三が日「賀正(右サイドバー)」
→通常モード「シンプルオレンジ(右サイドバー)」
→3月より「若草(右サイドバー)」
→3月6日より「若草(右サイドバー)色いじりオリジナル」
→5月22日より「light pole(右サイドバー)」
→8月1日より「カラスウリ(右サイドバー)」
→9月27日より「その世に見る夢(右サイドバー)」
→年始のみ「賀正(右サイドバー)」
→通常モード「和柄『紋様』(茶) (右サイドバー)」
→3月12日より「和柄(右サイドバー)」
→3月15日より「和柄(右サイドバー)色いじりオリジナル」
→5月10日より「FLO:Q style [Gr2](右サイドバー)」
→「The Moon(仮名)」Seesaa提供のプチオリジナルシートを大幅カスタマイズ
です。
posted by 奥田圭太 at 23:01| Comment(0) | TrackBack(0) | ページのこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

それは今やらなきゃいけないことか、それとも・・・

「それは今しなければいけなかったことなのか、それとも、てめぇがしたかっただけなのか。それが重要だ。」という話をする機会がよくあります。

この区別は単純には客観と主観なのですが、相手の主観も入るのでなかなか難しい代物です。

その行動の端を発したものは「(1)自分」なのか「(2)相手」なのか「(3)客観的事象」なのか、この発端を捉えることでこの問題は少しシンプルになるように思えます。そして、その発端一つで全く同じ行動も、相手に与える心証や生み出される結果が大きく変わる可能性があります。

単純な例をとってみて「真夜中1時に電話をする」にしてみましょう。真夜中の電話は、相手が寝ようとしたりくつろいでいることの妨げになるでしょうし、かかってくることを期待していることも少ないので、迷惑である可能性が高いです。にもかかわらず、その「真夜中の電話」は何故起こったのでしょうか。何故「次の日の午前中」ではいけなかったのでしょうか。

(1)自分
自分が知りたいことがあって、早くそれを知って「自分が」落ち着きたかったから1時に電話した。これは「てめぇがしたかった」に間違いありません。ただし、この「自分」という答えに自ら辿り着くには勇気がいります。自分でわがままだと自覚する勇気がいります。手がかりとしては「感情論は〜」と以前に書いた(→コチラ)のですが、相手の反応が感情的であったときこそ自分が感情的に端を発したもので伝えたのだと自覚することが必要でしょう。しかし、これも(2)相手のときもそうなので一概には言えません。自分に謙虚になる勇気がやはり最大の手がかりでしょうか。

(2)相手
これは最も難しいものですが、これを支えるものはあなたの想像力です。相手がどういう状態であるか想像してから行動を起こしたか。相手をどういう状態にするのがいいと思ったからその行動を起こしたか。その行動を起こす前に相手の姿が浮かんだかどうかです。確信犯であるかどうかです。

(3)客観的事象
これは最も単純ですが、逆に(1)の言い訳に使われがちになるものです。「必要と言えば必要」です。ですが、これはもっと狭義に捉えられるべきです。極論を言えば、感情を全て廃した「物理的」事象に限定されるべきです。3時にはこうなっていなければいけないので1時に電話した、です。また3時にこうなっていなければいけない、も物理的に必要要件を満たさなければなりません。

「真夜中1時の電話」をあなたは何故かけますか。それは「明日の午前中」という選択肢を分かった上でかけていますか。「相手の状況」を想像した上でかけていますか。その想像力が行動と結果を裏付けるのです。
posted by 奥田圭太 at 11:22| Comment(2) | TrackBack(0) | コラム:言葉津々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月24日

「輝ける女たち」

誤解を招くのも承知のうえで言うなれば、フランス映画らしいフランス映画。身勝手だが愛すべき登場人物たちの複雑な関係を、素敵な台詞で彩りながら人生を慈しみつつ、新しい家族の価値観を提示しようとした作品。

登場人物たちは家族のような家族でないような関係。楔となっていた人物の死により強制的に集められ、その関係性を見つめなおし再構成していきます。たくさんの過去や秘密の表出、それらを赦す時間と空間の流れ、それらを繊細に繊細に紡ぎなおしていきます。

そんな複雑なものを支えるのがフランス映画界の名優の競演です。全ての登場人物に複雑さを受け入れる大きさがあります。全ての登場人物が迷走を繰り広げていても説得力があります。そして、理屈ではなく、人間そのものの力で「家族」と「赦し」をあぶり出していきます。いろんなことがあったし、今もある。それでも今愛していることだけは確か。だから愛そう、そして赦そう。その気持ちがまた人を動かしていく。

内容の単純理解は困難です。それぞれの登場人物が非常に癖があり、誰かに感情移入してもそれはまた引き剥がされてしまいます。それでも全編通じて流れる、なんともいわれぬものにただただ温かさだけを感じました。

■作品概要
題名/「輝ける女たち(原題:Le Heros de La Famille」
2006年/フランス/ムービーアイ エンタテインメント
監督/ティエリー・クリファ
出演/ジェラール・ランヴァン カトリーヌ・ドヌーヴ エマニュエル・ベアール 
    ミュウミュウ ジェラルディン・ペラス
会場/京都シネマ
南仏ニースのキャバレー“青いオウム”のオーナー、ガブリエルが急逝し、離れ離れに暮らす家族が久々に顔を合わせる。遺言により店は、かつて一世を風靡した人気マジシャンで息子同然に育てられたニッキーを飛び越え、その子どもであるニノとマリアンヌの異母兄妹に譲られることになる。子どもたちとも元妻たちともしっくりいかず、遺産相続からもはじかれたニッキーの寂しい心は美しい歌姫レアに向かうのだが…。
posted by 奥田圭太 at 19:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・映画・舞台・ライブ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月21日

気づく力

チャンスをモノにする人とそうでない人の違いはなんだろうか。最近はそんなことをよく考えています。そんな中でひとつの違いははっきりと見えてきました。

それは「チャンスは逸するものではない」ということです。

チャンスとは機会であり、機会とは取り組んだ瞬間に成立します。取り組んだ瞬間に機会を捕らえていることになります。機会に取り組んでおきながら逸するというのはその点においてはおかしな表現となります。

では、機会を逸するというものの裏にあるのもは何か。

それは「機会に気づかない」か「(無意識に、あるいは意図的に)機会に気づかないふりをする」かです。つまりは機会を逸するのではなく、機会を発見できない(ふり)のです。

ここでまず問われるものは「発見力」です。もうひとつが「勇気・決断力」です。

どれだけ物事に関心を持つか、それは広さも深さも問われます。自分が知らないことを喜ぶ姿勢です。それが発見力を育みます。自分の興味の範囲で発見していてもそれはただの自己満足力です。

更にその発見したものに対して逃げないことです。あくまで機会なのですから、改めて取り組むことになるので課題がまず見えます。しかしそれを理由に機会を見なかったことにしては物事は進みません。「まず取り組む」という勇気と決断力が求められているのです。その「まず」が何になっているかがとても重要なのです。まず「考える」「見る」という人は、本当は見えている機会に気づかないふりをして逃げているだけなのです。

書いていて思ったのですが、これは「課題解決力」にも通じます。課題解決力というのも結局は「課題発見」から逃げずに「勇気」を持ってそれを設定し、取り組む姿勢そのものなのですから。

まず気づくこと。そして、気づいたときに見えた壁を言い訳にして逃げないこと。その壁に感謝して取り組むこと。その勇気と決断が、物事を進めるものであること。気づいたらあなたがやるのです。この流れはきっと変わりません。
posted by 奥田圭太 at 09:19| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム:言葉津々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。