2007年02月09日

我慢我慢、まだ辛抱中

ここのところ辛抱我慢の毎日が続いています。一時期の忙しさとの闘いという肉体的辛抱ではなく、極めて精神的な辛抱です。む〜〜とか、ガルル〜と呻りながら辛抱をしている感じです。

以前に人や会社の成長には我慢が必要なことを先輩から学びました(→コチラ)。それをバリュークリエイトではなく、お客様のところで実践しているところです。それが1社様ではなく複数の企業様で同時にその段階に来ていることから我慢のしっぱなしになっています。自身としてはかなり鬱憤がたまってきていますが、そこは周りの成長のためと信じて我慢しています。

その段階とはどういうことか。一言で言うと「自浄」と「あと一歩」の段階です。

企業様の中に入って一緒にやらせていていただく中でまず多くの課題を抽出し一気に綺麗にできるものはします。長年の間で蓄積されてきたものをリセットするようなものです。それをある程度の豪腕で一緒になって一気にやります。今までの状態から飛躍するためのスタートラインに立つ状態にするものです。ここまではトップダウンで一気にやります。

ここからが次の段階です。ここからが我慢です。

ヒントをちりばめながら「気づき」を促します。ボトムアップになるようにじわじわと醸成していくのです。解決に迎える状態になった課題を提示し、自分たちだけで取り組んでもらうのです。そのことによって自分たちで課題を設定して取り組む姿勢が育ちます。課題の解決には時間がかかるかもしれませんが、自分たちだけでそれができるようになることがとても大切です。

気づいて欲しいことに気づいてもらえたときは小さく喜んでいます。それに取り組もうという空気になるように必死にサポートします。自分の存在が消えていくような寂しさを感じながら、その企業様の本当の力が発揮されていくことを喜んでいます。

今は辛抱我慢。今までの筋力トレーニングの効果を出してもらうとき。その先に本当の力が備わった自信と成果がついてくるはずです。そのとき、その企業の社長様と一緒にガッツポーズをしようと思います。
posted by 奥田圭太 at 02:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 会社の出来事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月08日

美しきリフレイン

昨晩、前職時代の同支店同期(大学の同窓同期みたいなもん)が「ついに」転勤するということで送別会に飛び入り参加してきました。会が始まってから連絡を受け、急遽の急遽で踵をそちらに向けた次第です。

驚いたことがふたつありました。

(1)ほとんど知らない人たちの会・・・
懐かしさいっぱいで飛び込んだのはいいのですが、よくよく考えてみるとほとんどの人が転入出で私のことを知っている人も少なくなっているのです。顔ぶれを見てびっくりです。おそらく7割くらいの人が初対面でした。飛び込んで良かったのかと一瞬だけ困惑しつつ駆けつけ瓶ビール1本で溶け込みです。
懐かしい顔ぶれに再会する素晴らしい機会であり、一方で、もうあの頃の支店ではないという寂しさを覚える機会でもありました。

(2)歴史は繰り返される
あまりに印象的で目が覚めるほど感動したことがあります。
それは2年目のAさんの送る言葉でした。その言葉一つ一つに私には確固たる思い出がありました。
それらは全て、数年前に、おそらく当時2年目くらいだった同期が、その当時転出が決まった先輩に送った言葉と同じだったのです。
その当時の同期と先輩、そして今の2年目のAさんと同期。関係性はほぼ同じです。同期もあのときのことを目頭を熱くしながら思い出し、先輩に感謝し、また後輩に感謝したに違いありません。

一番最初に「やめる」と言い出した同期。いつも泣いていた印象さえもある同期。そんな同期が一番辛抱強くしっかりと仕事を続けていて、その継続の成果としてあのときの先輩のようになっている。

短い時間でしたがとてつもなくたくさんの学びがこめられた機会になりました。いつもきっかけは周りに人が作ってくれます。今回それを作ってくれた同期に感謝。
posted by 奥田圭太 at 10:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 会社の出来事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月07日

原作は超えられるのか!?

実は表題はとても意味のない議論だと思っています。むしろ、「第一印象は超えられるのか!?」が議論ではないかと思います。

「原作のほうが良かった」というのは「やっぱり」という言葉が枕詞になるほど当たり前のように耳にする言葉です。ですが、この言葉の前提はその前に原作を目にしているということです。何が言いたいかというと、当たり前のように耳にするこの言葉の意味は「作品として」超えているかという議論ではなく「感動として」超えているかなのです。

最初に観たものにある一定の感情を抱いてしまったもの(特に感動を抱いてしまったもの)は、その感情を前提に比較論として次なる作品に触れることになります。その時点でその新鮮さは失われ、インパクトは失われ、比較という分析的視点から観られてしまうのです。その段階で次なる作品は感情を触れ動かすことが極めて困難となり、感情論である原作(というよりも最初に観た作品)を「感動として」超えることは同じように極めて困難なのです。その過程において、先ほどの当たり前にように耳にする言葉があるのです。

では、実際に「作品として」原作を超えることは可能なのか。これもまた別の議論であり、そもそも「超える」という比較論の段階で意味を成しません。批評・評論好きな人は、よく引用や比較を用いますが、それは作品の真なる完成度とは無関係です。

作品とは「超える」ではなく「そのもの」として「いいか、悪いか」なのです。その点において主観論でも客観論でも論じればいいと思います。原作という言葉に起因するのではなく、そもそも別の作品と考えるべきなのです。原作と比して、他の作品と比して、という過程である以上、言葉は陳腐なものとなり「作品として」味わうことは困難なのです。

とはいえ、この前提が拭い去れないことを覚悟の上で原作をリメイクする心ある作り手たちは「表現として」何かを伝えようとする試みを最大限に追究するのでしょう。原作と全く異なること、その作品唯一無二のものとして「表現方法」を選ぶその姿には相当の覚悟があります(必要です)。逆に言えば「表現として」その作品に触れることができたときに、観るものは心を触れ動かされる幸せがあるのです。

原作モノという表現そのものが作り手の「表現」をフィルターづけて破壊するものであり、原作を観たものがフィルターを持って観てしまう限り、作り手は観客を得たとは言えない。作り手にも観るものにとっても不幸な出逢いになるだけなのです。

posted by 奥田圭太 at 17:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・映画・舞台・ライブ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ナビの中の蛙、ほとんどの企業を知らず

就職活動では、ほとんどの学生はまず就職支援サイト(就職ナビ)に登録することから始めるのだそうです。また大学からもそう教わっているそうです。おそらく間違いではないのでしょう。

どう考えても知名度で群を抜くのがリクナビ。そのせいか、リクナビに登録さえしていれば安心、などと思ってしまってはいないでしょうか。

主要と言われる就職支援サイト(就職ナビ)を列挙します。

リクナビ http://www.rikunabi.com/
毎日就職ナビ http://job.mycom.co.jp/
学情ナビ http://www.gakujo.ne.jp/
エンジャパン http://gakusei.enjapan.com/index.app
日経ナビ http://job.nikkei.co.jp/

ひとつでも見たことがないサイトがあれば必ず見ることをお勧めします。

リクナビに全ての企業の新卒採用情報が載っているわけではありません。リクナビに載っていなくて学情ナビに載っている企業もたくさんあります。ナビによって載っている企業、載っていない企業があるのです。ですから、ナビをまず選ぶのではなく、全てのナビで企業検索をして、エントリーしたい企業があったときにエントリーするためにナビに登録するのです。この順序が逆で、出会いたかった企業に出会えない狭い狭い世界で就職活動をしている学生さんが多いように見受けられます。

さらに言うならば、どこのナビにも載っていない企業も無数にあります。京都の某大手企業さんは自社HPからしかエントリーできません。ナビの中で企業探ししている学生さんは絶対に出会えないのです。

では、どうするのか?

目的(企業探し)と手段(ナビ活用)が逆転しないことです。

業種や職種が明確な人は、それで一般の検索(ナビではなく検索:google、yahoo、goo)で企業をひたすら検索することです。あるいはその業種や職種の業界新聞・業界紙に目を通すことです。そのあとにその会社が新卒採用をしているか調べ、エントリー方法を調べるのです。ナビはそれからです。

地域にこだわりがある人は、それで一般の検索で企業をひたすら検索することです。あるいは、街を歩いて回ることです。そのあとに・・・。

就職活動のときに興味のある企業がありました。ご存知の方がおられるか分かりませんがサンセントシネマワークスという会社で、新卒の採用はしておらず、就職するにはたしか3年以上の社会人経験が必要でした。採用情報が載っていなくても問い合わせをすると面接をしてくれる会社もありました。調べていけば無数の企業、様々な就職の仕方があります。

ナビの中に掲載されている企業は、非常に限られた企業でしかありません。またナビに掲載されている情報は、非常に限られた情報でしかありません。

ナビはうまく利用するものであり、ナビの世界にこもってしまっては、とてもとても狭い狭い世界で就職活動をした「気分」になることになります。

posted by 奥田圭太 at 13:24| Comment(3) | TrackBack(0) | コラム:就職活動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

正反対と複眼と

様々な社長様と一緒に仕事をさせていただいております。その中で最近おもしろいなと思うのが、特に取引先の社長様によって私のキャラクターがバラバラだということです。

ある社長様には情熱のみで動いている(またはサポートしている)ように思われているようです。ある社長様とはその真逆で数字や理屈を用いて動いている(サポートしている)ように思われているようです。同日にそのふたつのご評価をいただくのはなかなかおもしろいものです。

「意」「情」「智」のバランス三分法という教え(詳しくは成熟したら言葉にして表したいと思っています)をあるお方を通じて教わり、今年はその中の「意」の充実をテーマとしています。「意」を充実させることで「情」「智」をコントロールもしくは最大限に発揮することが目的です。

そういう意味では局面局面、あるいはお客様に合わせて、「意」をもって非常に強力な「情」や「智」が映っている(伝わっている)とすれば、喜んでいいことだと思っています。ただし、それが「意」としていないところであれば「情」や「智」の暴走のように思います。

他人にどう映っているか。その映っている姿は間違いなく自分そのものである。他人を通して自分を見る。一方で自分を通して他人を見る。そのお互いにどう見えているかの中で、自分の立ち位置があり、自分がある。自分とは他人との関係性の中でそのものとなると思います。
posted by 奥田圭太 at 00:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 会社の出来事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月06日

Seesaaリニューアル

このブログで使っているSeesaaブログが大規模リニューアルされしました。といっても公開画面は全く変わっていません。ですが、管理画面が大きく変わりました。

まずはデザイン。ものすごくカラフルで可愛らしい感じになりました。水色の使い方がアクセントとして効いています。どことなくVistaを意識しているのかなと思うのは深読みしすぎでしょうか。

続いて操作性。普段自分がよく使っていたものがどこにあるのかと戸惑うのですがそれはトップページだけで一歩進めばほとんど変化はありません。大きく変わったと思えるものはアクセス解析がより様々な角度からできるようになったことでしょうか。その他は使っている感じではトップページだけで、むしろデザイン変化かなと思います。

一方でカラフルになった分、アクセントが増えた分、重くなったような気もします。これはサーバー復旧してすぐだからかもしれませんが。しばらくは不安定かもしれませんね。使って様子を見るとしましょう。

リニューアルキャンペーン
リニューアルキャンペーン開催中
Seesaaブログが新しくなりました。デザインはもちろん使い勝手もさらに便利に!
新規登録の方も既にお使いの方もプレゼントが当たるチャンス。

posted by 奥田圭太 at 18:45| Comment(0) | TrackBack(0) | ページのこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月04日

頼ると甘える

頼ると甘えるは厳格に区別されなければならない。

人間は楽を覚えるとそちらに流されていく動物です。それを自律によって自分に厳しくという課題はさておきまして、それが他人にどう見えているかを考えたいと思います。

頼る相手がいるというのは、生活において非常に頼もしいことです。ですが、その相手に甘えてしまっていてはお互いのためになりません。相手にとっては負担でしかなく、自分も楽をしているのですから成長はありません。

頼られるときのモチベーションは「助けてあげたい」という想いと「期待されている」という想いではないかと思います。全力で頑張っている姿を見れば前者の気持ちが浮かぶでしょうし、自分のことを思ってくれていると思えば後者の気持ちが浮かぶでしょう。

逆に甘えは、このモチベーションを逆なでします。頼られる・甘えられるというのは負担であることは間違いありません。それを上記モチベーションを感じるときは「頼られている」と感じて負担に立ち向かえます。逆に上記モチベーションが生まれないときは「甘えられており」負担でしかないのです。全力で頑張っていない人は自分で頑張るのが先であり、相手のことを考えてではなく自分が楽になることを考えている人に誰が上記気持ちを抱くでしょうか。

バリュークリエイトはパートナーたちを非常に頼りにしていますが、そこに甘えが生じたときはお互いが叱咤するようにしています。頑張っていないと「お前、最近だらけてんとちゃうか」と飛んできます。お互いが切磋琢磨しているのを知っているからこそ、頼られたときに返せるのです。頼られたときに何とかしてやろうと思えますし、頼られたときに何とかする力を身につけるべく切磋琢磨しているのです。

「頼る」「甘える」ということは「頼られる」「甘えられる」相手がいるのです。その相手がその区別を判断をしています。そして、その区別によって相手のパフォーマンスは大きく違うのは当然でしょう。頼られれば気概を感じて優先的に取り組むでしょうし、甘えられては負担に感じ、場合によっては「自分でやれよ」という気持ちになりますし、その気持ちが根底にある限りパフォーマンスも上がりません。

相手に頼るときは、自分はそれ以上に何かに頑張っていなければいけない。
相手に頼るときは、相手が気概に感じる信頼感と意思を伝えなければならない。
自分が楽になることが目的であれば、そんな甘えには誰も動かない。
posted by 奥田圭太 at 21:39| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム:言葉津々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

優しさと甘さ

優しさと甘さは厳格に区別されなければならない。

人財のマネージメント・育成について述べられている書籍類が最近よく見受けられます。バブル崩壊後の自信をなくした上司の姿なのか、改めて企業における人財の重要性が見直されているのかはさておきまして、注目されている分野ではあるのでしょう。お取引企業様の中でも実際にこの部分をバリュークリエイトに期待されることが多くなっています。

そんなとき思うのが第一文です。人財のマネージメント・育成を期待されている層(管理層・リーダー層)にはこの言葉を必ず伝えています。そして、これは仕事の問題ではなく、人間関係(コミュニケーション)の根幹を成すものだと思います。

優しさとは、相手を思いやり、相手の身になり、相手のために最も良いことをしようという姿勢です。逆に甘さとは、相手にとって楽だと思われること、相手の耳に心地よいことを助成することです。

優しさがあれば、嫌われ役を買って出ても、相手を一時的に苦しめてでも、するべきことをするのです。守ることが優しさではありません。逆に甘さとは「相手のため」という逃げ口上によって、自分が相手に嫌われないようにする保身に過ぎません。それは「自分のため」なのです。

たとえば、小さい子供がお菓子を際限なく欲しがるとします。よくあることです。その子供を可愛いと思う人はきっとお菓子を与えるでしょう。何故ならその子供に好かれたいからです。ですが、その母親はよくよく考え、ときに子供を叱るでしょう。それが優しさです。

優しさとは相手視線から始まり、甘さとは自分視線から始まっているのです。そして、甘さほどお互いのためにならないものはありません。相手は楽を覚え、自分も楽をしているのですから。

まず自分に厳しくなければ優しさは発揮できません。「相手のため」という言葉に自分が甘えていては優しさなど生まれないのです。優しさとは他人のために自分に厳しくなることです。それはとても難しいことですが、だからこそ相手の心に響くのです。
posted by 奥田圭太 at 14:12| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム:言葉津々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月03日

緊急会議

バリュークリエイト4月1日の体制に向けて緊急会議をしました。

いい会社だ!!

と自画自賛です。ここがあるからバリュークリエイトなんです、というのを今現在も、そして未来に向けて強く感じる幸せな時間でした。

4月1日というわかりやすいターゲットに向けての話し合いがきっかけだったのですが、私としてはそうではなく、根本的な話、バリュークリエイトは何なのか、どういう状態であるべきなのか、というのをもう一度考え直したかったのです。もちろん立ち上げ当時の思いもありますが、その想いだけで走っていたことから1年半以上が経過して、それぞれの立場や仕事の定着もあったりします。そういう状態になった今、原点にすえるべきものなのは何なのか、バリュークリエイトという会社はみんなにとって何なのかを聞きたかったのです。

原点の再確認でした。それぞれの立場や仕事がある中で、個人としての方向性がある中で、みんなの想いが、あの走っていた想いが、何も変わっていないことを共有できました。そして、それは原点への回帰でもあるのです。

みんな個々でがんばろう。みんなで一緒に何かやろう。それぞれの得意不得意をカバーしあおう。個々の収益の波もみんなで吸収しあおう。おもしろいことをやろう。おもしろいことをやろう。それがバリュークリエイトという会社です。

posted by 奥田圭太 at 22:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 会社の出来事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月02日

立命館大学産学協同アントレプレナー教育プログラム「第3回コンソーシアム例会」出席

立命館大学産学協同アントレプレナー教育プログラム「第3回コンソーシアム例会」である「2006年度アントレプレナー・インターンシップ成果報告会」にお招きいただき、出席してきました。

ランチ交流会で昼食までいただき、参加されている企業様・教職員の方々とも様々なお話をすることができました。ちょっとビジネスの話もありました。午後からは本編ということで教職員・学生・企業の代表の方々が順に想いや体験談を発表されました。アントレプレナーという言葉の意味はよくよく考える必要があるなと勉強になりました。会場には1〜3回生100名以上の学生さんも出席されていて、学生さんたちには偏りはあったもののいい刺激になってのではないかと思います。

私は学生さんたちの発表に興味を持ちました。4名おられたのですが、彼らは昨年この教育プログラムを受けて、実際に2週間自分で選んだ企業にインターンシップ(就業体験)をした学生たちです。そんな彼らが見事にプレゼンをしている姿は非常にたくましく、立命館大学の学生は恵まれていると感じたのもありますが、そういう環境をきちんと活用できる学生さんも多いのだと感じました。

ただ、残念だったのが、4名のプレゼンの仕方に個性がなかったことです。それぞれキャラクターという意味では個性があったのですが、プレゼンの仕方が定型でした。簡単に言うとパワーポイントの構成から進行の流れまで同じものを与えられているかのようでした。おそらくこのカリキュラムでそういうことも習ったのでしょうが、そこから先がないマニュアルな感じは残念でした。

もちろん基礎は何よりも大切です。基礎ができていないのに個性を主張するのはわがままであることのほうが多いです。書家の榊獏山先生も個性が素晴らしいですが、一般的な楷書もとても綺麗に書かれます。画家のピカソも個性が素晴らしいですが、写実的な絵を描いても素晴らしかったそうです。基礎はとても大切。そして、それをしっかり身につけたのだからこそ、その枠を超えるチャレンジを観たかったと思います。といってもプレゼン大会ではないので、今回はそれでいいのですが・・・、何か違和感がありました。

終了後の交流会では馴染みの学生さんとも久しぶりに会えて良かったです。積極的に社会人に話しかける学生さんが多くて、立命館大学のこのプログラムを推進している教職員の方の想い、姿勢がよくわかりました。機会はしっかりとチャンスにしてつかむ。その姿勢を多くの学生が学んでいると思うと心強いものです。

学生さん、しっかり学ぼう!そして、小さくまとまるな!
posted by 奥田圭太 at 19:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 会社の出来事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。