2007年01月16日

数字の話

新規事業の事業計画やプロジェクトの計画や企画書を拝見することがよくあります。

そこにはたくさんの数字が並んでいます。その数字にはいろいろな意味が含まれています。「希望」「論理」「打算」「辻褄」などなどです。ここでは、事業計画や企画書の正しい書き方などは別論として実感していることを書きたいと思います。

その数字が踊りだすものであれば、その数字は実現する。

数字は論理的組み立てによって算出されるものです。ですが、その「論理」というものが曲者です。論理を突き詰めれば秘めた可能性は最小となります。妥当を追及するからです。もちろん、計画にはその妥当性というものがとても大切ですが、それではおもしろみもなければ可能性もなく、そして実現させる価値も低くなります。

おもしろいなと思う計画は、数字の向こうに行動が見えたときです。
そこに携わる人々、そこから広がる可能性を極限まで追究した行動です。行動が書かれていなくても、数字が勝手に踊りだし、相手に想像をさせるのです。可能性を追求して空想し続けた企画者が、可能性を追究した想像に落としこめているかです。その具体的ビジュアルに落とし込めたとき、数字は組み立てられるのです。

数字はマジックを秘めていて、時に独り歩きを始め、数字が数字で作られてしまいます。一方で、数字はマジックを秘めているからこそ、その裏側を想像することができるのです。

過去の数字というものは、間違いなく行動の積み上げであり、そこから生まれた数字の積み上げです。だから過去の数字は恐ろしいほどにモノを言います。未来の数字というものは、それ故に想像できる行動の積み上げであり、そこから生まれた数字の積み上げであるのです。それこそが本当の「論理」であり、実現可能性が高い数字なのです。

可能性を追求して空想し続けることで、可能性を追究した想像に落としこめているか。

その想像力と継続力が企画力です。そこからの行動力と継続力が実現力です。そして、その根底に「意」があるのです。
posted by 奥田圭太 at 22:00| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム:言葉津々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

段取りの話

料理ができる人は、きっと仕事もいわゆるできます。

ここでいう料理とは作るという意味ではなく、食卓に一食分の食事を並べることを言います。チャーハンを作るのではなく、野菜や肉やごはんや味噌汁を食卓に用意することを言います。

私が研修等で必ず言う、世の中でよく言われている話があります。

ある人にあなたは今何をやっていますかと聞きました。その人はこう答えました。
「今、門を作っているところです」
「今、外壁のこの部分の入り口の門を作っているところです」
「今、こういう邸宅の外壁のこの部分の入り口の門を作っているところです」
これはその人の視点の高低を表します。
以前にも「つながりの話」で少し書いていますが、自分がやっている部分が、どういうものとつながっていて、どこまで全体像をつかめているかです。

料理でも同じです。食卓に温かいものを複数並べようと思えば、どれから調理を始め、そのタイミングでどれをどうすればいいか、あるいは事前に何をすればいいかがわかる必要があります。視点を上げて全体から入れる人は、自ずとやるべきこと、やるべきときが決まっていきます。そして、そのやるべきことをやるべきときにすれば、料理は見事にできるのです。

企業でいれば、この視点の高低が、管理職かどうかといった役職の違いになったりします。
全体の中での自分を意識できていれば、自分のやっていることの全体に及ぼす影響がわかり、期限はおのずと自分で決めることができます。逆にそれが守られなければ自分ひとりの問題ではなくなるという危機意識も持つことができます。そういう人はやるべき仕事をきっちりとやるでしょう。

まず顔を上げ、全体像をつかみ、段取りを行います。その上でその段取り通り「やるべきこと」を「やるべきとき」にするという自分の足元をしっかり見据えれば、物事は「できる」のです。
posted by 奥田圭太 at 13:36| Comment(2) | TrackBack(0) | コラム:言葉津々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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