2006年12月20日

こんな夕礼を聞きました

多くの企業で朝礼や夕礼というものが存在します。

その多くは挨拶と情報共有としての事務伝達です。そして、時間とともにマンネリ化し、場合によっては義務感だけで開催されていて誰も聞いていない、本来の目的は忘れ去られている、というものをよくお見受けします。時には誰かが発表したり、目標を高らかに宣言したり、目標達成者を褒め称えたりというイベントも存在するようですが、それでもそれは一部の人の高揚にしかならない、意識の維持・改革にはならないという声をよくお聞きします。

そうなってくると、そもそも朝礼・夕礼とは必要なのでしょうか。

意義のない朝礼・夕礼を数々見てきましたがまずはその存在意義は別として、どうせやるのであれば何かにつながるものをしてはいかがでしょうか、という形でご提示したいと思います。

こんな夕礼が存在するそうです。

接客サービス業であることを全社員で共有する必要がある店舗での夕礼です。そこでは一日の仕事を通して気づいたこの店舗の良くなかったところを夕礼で「全員が」発表するのです。これが「毎日」続きます。
「お客様のほうを向いて全員で挨拶できていなかった」とか「表のポップが曲がっている」とか「お客様からこんなお言葉を頂いた」とかとか。
その内容も大切ですが、この夕礼の意義はその内容以上にその意識にあると思います。

その意識とは「何か見つけなければならない」という環境下で「常にサービスに目が行く」ということです。気が張っているという緊張感を維持できることと絶えざる改善意識というものが全社員に共有できることがこの夕礼の効能です。もちろんその改善項目をすぐに改善に動くというこのあとのアクション・姿勢を示せなければこの効能はすぐに消えてなくなりますが。

朝礼・夕礼にも目的が存在するはずです。目的が存在しないのであればその朝礼・夕礼も存在意義はないでしょう。だからこそ、目的をきちんと意識させるための朝礼・夕礼であり続けることがとても大切です。
posted by 奥田圭太 at 11:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 会社の出来事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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