2006年12月31日

年越しの実感

2006年もあとわずか。2007年まであとわずか。そういったことを意識して、年越しを実感している人はどれくらいおられるのでしょうか。

年越しとはそもそもなんなのでしょうか。「明日になったって何も変わらんやん」と悪びて言うつもりはありませんが、年末年始を実感するものは大型連休にあるように思います。年越しというよりも、学生で言えば冬休み、社会人で言えば年末年始休暇です。その大型連休を実感できなければ年末年始はほとんど意味を成さないのではないでしょうか。まとまったゆっくりする時間、社会人にはそれがとても貴重なもののように思われるのです。

2005〜2006年の年末年始は少しだけ仕事をしました。姉の出産の可能性もあって少し落ち着きませんでした。それでもゆっくりと過ごせたように覚えています。

この2006〜2007年の年末年始は、気合を入れて仕事をしたいと思っています。年末年始の実感を全く得ることがないくらい集中して取り組みたいと思っています。ある企業様のことだけをじっくり考えたいと思っているのです。これを読んだその企業の従業員さんは「あれ」のことと想像するでしょうが、実はその「あれ」という仕事はもちろんですがそういうことではなく、その企業様の根幹をとことん掘り下げて考えたいのです。これまで触れてきたことや考えてきたことを踏まえて、自分をとことん絞りに絞って、強い意思を持って何らかの方向性を導き出したいのです。

1月3日には一つの成果として社長様に提示できる状態にしようと思います。そして、そこから心行くまでディスカッションをして、いい形にまとめ上げたいのです。

ここに記すのは、意思表明・行動宣言をするためです。有言実行として自らに納期の厳守と退路を断つことを課すことが目的です。

年末年始はまとまった時間を手にする貴重な機会です。だからこそ、そのまとまった時間を「必死に」使ってみるのも悪くはないのではないでしょうか。

posted by 奥田圭太 at 23:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 会社の出来事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月30日

NODA MAP「ロープ」

頭痛のする、一歩距離感を間違えれば吐き気がする意欲作かつ奥の深い秀作。

テーマは、暴力という「力」が、小さなきっかけから始まって中身のないままバブルのように膨張し続け、最後にははじけてそこに無力という「力」だけが残るということであり、ただその事実を虚実絡めて距離感をとりながら力強く、やや苦しいくらいにストレートに描かれています。「まだ遅くはない」というのは野田さんの中に戻った希望なのか、それともその希望も繰り返されているという無力感なのか。

この作品がもしアメリカで公開されたら、あるいは太平洋戦争で描かれていたらと考えると頭痛が治まりません。日本人にはベトナム戦争という原風景がない、少なくとも私には全くといってない。だからこそ、距離を巻き込まれることなく見られたのだと思います。もしこれが日本人に刷り込まれている逃れることのできない太平洋戦争の日本の姿で描かれていたら・・・「あったことをなかったことにしてはいけない」・・・私自身に原風景はないとはいえもっと堪えて、吐き気をもよおしたに違いない。それくらいストレートでした。この距離感でいられらことが作品を素直に受け入れる助けになったように思います。

舞台としてはリングと昔よくあった電話BOXサイズの引きこもり部屋くらいで相変わらずとてもシンプル。宮沢りえさんの独り舞台ともいえる彼女の存在感に感動。彼女の透明感が全体にいきわたっていたことがこの作品の救いであったように思います。藤原竜也さんのロープの外に逃げる叫びにならない叫びは「オイル」の松たか子さんに匹敵。その他出演者も、野田作品のいつもように平等に役が与えられるというよりはかなり薄い設定ではあったものの安定した役回り。

今回は、はっきり言って前半の笑いは不調に感じました。しかし、それさえも救いでした。これが前半の笑いがあまりに乾いたものではなく快調であったならば、後半のズシリと来る鉛の落差に耐えられなかったかもしれない。

■公演内容
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NODA・MAP第12回公演「ロープ」
作・演出・出演/野田秀樹
出演/宮沢りえ 藤原竜也 渡辺えり子 橋本じゅん 宇梶剛士 三宅弘城
   松村武 中村まこと 明星真由美 明樂哲典 AKIRA
美術/堀尾幸男
衣装/ひびのこづえ
会場/Bunkamura シアターコクーン
日時/2006年12月30日(土) 19:00開演
料金/S席 9,500円
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IT社長ぢゃないです

いろいろな局面で「IT社長」だと言われてしまうことがよくあります。

(1)どういう事業をやってるのか聞かれたとき
(2)実際にやっている仕事の話をしたとき
(3)バリュークリエイトのみんなと話しているとき

(1)については複雑な心境です。「何屋さんですか?」かと聞かれて答えに窮していると多くの場合「IT系ですか?」と返ってきます。若い社長、あるいは何かよくわからないことをやってる=IT系といった、その式そのものがおかしい風潮があるように思われます。IT系が簡単に起業できるもののように思われているのもIT系ではない私でも同じ起業家として憤りを覚えます。

(2)は実際に話だけ聞くとIT系のこともやっているように聞こえます。実際に比較的規模の大きい有名なSNSにアドバイザーのような形で関わっていますし、まだまだこれから立ち上げようというナビサイトの主要メンバーとして自らの知恵を絞りに絞っていますし、ある企業の顧客向けHPの解析等を担当していたりします。ですが、実際のところは「発想」「感想」という仕事をしているだけで技術があるわけではありません。

(3)はバリュークリエイトの中では明らかにIT担当です。私が、というよりは残りの3人がITに弱いと言ったほうがいいかもしれません。

そもそも私がITに詳しいというわけではありません。たまたまITに詳しい知り合いが多い、実際IT社長といえる人とも仲がいい、と周りにITという言葉にふさわしい人がたくさんいます。そういう人たちと会話が成立するのですからそれなりに知ってはいます。

ですが、それも言語として知っている、サービスとして知っているであって、技術について知っているわけではないのです。私は、ITに関わる多くのものに比較的触れているほうだと思います。そして、それらのもの、サービスに常にユーザーとしての視点であれこれ「発想」「感想」を抱いているだけです。ですから私がやっていることはITではなく、どちらかというとマーケティングともいえないくらいのアイデア出しか、ユーザーとしての感想・分析なのです。

ITについて聞かれれば「知っているほう」と答えます。ですが「わかっているわけではない」という言葉を必ず付け加えます。
posted by 奥田圭太 at 00:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 会社の出来事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月28日

「バリュークリエイト」という言葉の定義

今日、嬉しいお便りをいただきました。そこには「(私に対して)まさにバリュークリエイトですね」と書かれていました。その言葉にこめられた想いがとてもとてもありがたかったのです。

お便りをくれた彼とまともに話をしたのは1度か2度だけです。出会いもいきなりご縁の中で転職先を紹介してあげるというものでした。バリュークリエイトは人財紹介事業をしているわけではなく、これは単なる人のつながりの中で人と企業を紹介しあっただけでした。

そんな彼が1年も経たないうちにその企業の中でしっかりとした地位を気づき、自分の得意分野を活かしてその企業に今までにない事例を作りました。そして先般「社長賞」を手にしたそうです。その報告と、自分を活かした仕事が自分の手でできたこと、それが就職先に貢献できたかもしれないという喜びと感謝を上記のような文面で送ってくれたのです。

バリュークリエイトという会社名には「付加価値を生み出していきたい」「新しい価値を創出したい」であったり、「ベンチャーキャピタル」や「ビタミンC」というイメージを私たちはこめています。

彼の言葉を見て、私たちを評価してもらえたのだという嬉しさも格別だったのですが、それ以上にありがたかったことがあります。それは、彼自身が個人としてバリューを高めたことと、彼の行動が企業様の新しいバリューをクリエイトしたという、彼自身がバリュークリエイトを成し遂げたということを目の当たりにした喜びです。

彼には「もう一歩、もう一歩」という気持ちを忘れずに、ただ任された仕事をするだけでなく、自分にできる付加価値を考え続け、行動に移し続けて欲しいと思っています。
posted by 奥田圭太 at 19:29| Comment(2) | TrackBack(1) | 会社の出来事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月27日

「京都発!!勉強会!!」転機の予感

「京都発!!勉強会!!」が転機を迎えようとしています。

(1)2007年2月19日で1周年を迎えます。あと2ヶ月もありません。
(2)ブログやmixiの日記で感想を書いてくれる人が増えてきました。
(3)私の心境の変化と大切な仲間の位置づけの変化
(4)その他、言えたり言えなかったりする様々な事情

昨日のたった一言というきっかけで上記4つのことが一気に私の中を駆け巡りました。以前に思っていたことやその瞬間に思ったことや話しているうちに思ってきたこと・・・、1周年をきっかけにして転機とすることも前向きに検討したいという気持ちになりました。

(1)については1周年企画を考えています。それもあって次回はおそらく2月開催です。
(2)については本当に感謝しております。前回ご参加の皆さんはご存知のように「京都発!!勉強会!!」という名称は変更できなくなりましたのでどんどん会の名前を出して広めていただけると嬉しいです。感想を書いてくれているブログを発見するたびに嬉しくもあり、気が引き締まる思いもします。
(3)(4)についてゆっくりと整理していくつもりです。きっと「挑まないといけないこと」もあると思います。矛盾を承知でどこで決断するか、私にとって大きな経験となりそうです。

さて、そんなことをつらつらと書き並べていますが「京都発!!勉強会!!」は生き続けます。どのような続け方になるのか、はたまた別物になってしまうかは、参加していただく皆さんの「意」にかかっています。

近日中にmixiやGREEといったSNS内でもトピックとして掲げるつもりですが、「京都発!!勉強会!!」の理念に共感いただいている有志で1月にでもこの転機について考える座談会のような集まりをしたいと思っています。「京都発!!勉強会!!」をどういったものにしていきたいか、あるいはどういったものにしていって欲しいか、どんなことをやればいいか、そのためにはどうすればいいか、なんて徒然なるままにディスカッションできればと思っています。

せっかくの転機なのでいいきっかけにしていきたい。

1月にこの転機について考える集まりに参加していただける方を募集します。これまで「京都発!!勉強会!!」に参加いただいた方々はもちろん、これから参加しようと思っていた方々、京都で何かをしようと思っている方々、全てが対象です。SNS内に近日中に立ち上げるトピックか、このブログか、私宛のメールにて参加表明をお願いします。

「京都発!!勉強会!!」について知りたい方は→コチラ
「京都発!!勉強会!!」設立の経緯は→コチラ

2006年12月26日

「當る亥歳 吉例顔見世興行−夜の部−」

大千秋楽。襲名披露らしいお遊びたっぷりの大千秋楽ならではのおまけたっぷりの公演。最後の最後に主役が舞台の上にいないにもかかわらず拍手が鳴り止まず、急きょ楽屋から主役が飛んでくるようなオールスタンディングの幕切れ。本当に中村勘三郎とは心から大衆に愛されている役者である。

『平家女護島 俊寛』は仁左衛門さんの哀愁たっぷり。全編を通じた仁左衛門さんの機微の豊かさ、中盤の孝太郎さんの口説き、そして段四郎さんの悪役、この三者の絡まり合いがコントラストとなって完成度が高かったです。啜り泣きがあちこちではっきりとわかるほどの動きと表情だけで空間の温度を変えてしまう仁左衛門さんの奥深さに感動。

『口上』はハプニングあり。最後の最後の勘三郎襲名披露口上。途中中村源左衛門さんの死、松竹永山会長の死に触れられ、中村屋一門が大粒の涙を流して止まらない始末。それだけ2年近くに及ぶ襲名巡業の紆余曲折もあったのでしょう。全ての言葉が微笑ましく、全ての言葉が奥深いものでした。

『京鹿子娘道成寺』はまさに待ってました。十八代目中村勘三郎十八番の舞踊と言えるでしょう。まずその体力と足腰という肉体的なものから驚かされ、女性の機微の表現と女性という枠さえも超えてしまう人間としての執念に全身に痺れが走ります。舞踊一つで客席が凍りつくように静まることに感動。今回は中村屋一門が間間にハプニング要素も加えて笑いの要素を満点にして緩急がきいていて更にその凄みが際立ちます。最後に押し戻しがあることで勘三郎さんの美しさから立ち役の凄さまでを一気に堪能できる傑作。

『雁のたより』はまさに上方狂言。藤十郎さんが終始茶目っ気たっぷりで、軽いタッチで最初から最後までお客さんを楽しませます。勘三郎さんが飛び入り参加するおまけまでついてただただ軽いタッチのテンポの良さで和やかに過ぎていく時間。

『乗合船恵方萬歳』は絵のような色使いと各種舞踊の競演。ただし、今回は清水大希改め中村鶴松君がお客さんの視線を釘付け。子供が子供を背負っているようになってしまっている姿にもかかわらず舞踊になった瞬間大人顔負け。この少年はいつも心から歌舞伎を楽しんでいるのが全ての人に伝わるのが魅力的。最後は勘太郎さんがお客さんを思い切り喜ばせる幅広い舞踊を披露し、見せ場である翫雀さんと橋之助さんの小気味いい息ぴったりの掛け合いへ。幕引きはただただ絵として気持ちいい。

大千秋楽。いかにも大千秋楽の未だかつてないほどの笑いと涙が詰まった半日でした。中村勘三郎南座での襲名公演、昼の部では歌舞伎で手拍子が起こるという奇跡を目にし、夜の部ではお客さんが主役不在でも鳴り止まないオールスタンディングの拍手という奇跡を目にしました。そういう時を共有できたこともまた奇跡。

■公演概要
京の年中行事 當る亥歳 吉例顔見世興行〜十八代目中村勘三郎襲名披露〜
−夜の部−
『平家女護島 俊寛』『口上』『京鹿子娘道成寺』
『雁のたより』『乗合船恵方萬歳』
出演/中村勘三郎(勘九郎改め) 片岡仁左衛門 中村芝翫 片岡我當
    中村橋之助 坂東弥十郎 中村勘太郎 中村七之助 片岡愛之助
    片岡秀太郎 片岡孝太郎 中村扇雀 中村鶴松(清水大希改め)
    中村翫雀 市川段四郎 坂田藤十郎 
会場/京都四條南座
日時/2006年12月26日(火)14:00開演
料金/1等席 24,150円
posted by 奥田圭太 at 23:59| Comment(0) | TrackBack(1) | 本・映画・舞台・ライブ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月25日

知らないことをさせてはいけない

まず隗より始めよ。ではないですが、誰かを指導あるいは育成しようというとき、やってはいけないことの一つが「自分が知らないことをやらせる」ということです。

人を育てるというのは本来おこがましいことで、できることといえば「叱ること」「褒めること」のただ二つだけです。その原点は「看る」と「評価する」です。そしてそのためには「わかっている」ということが大前提にあるのです。

わかっていなければどこを看ていいかもわからず、評価することもできないのです。まずは自分でやってみる、そしてそのことを知る、わかる、これが大前提です。そのことがどれくらいの困難さでどれくらいの時間を要しどの程度までやることが必要なのか、これらは自ら体験することでしかわかりえません。そして、それがわかった上で初めて、他人を看ることができ、その出来を評価することができるのです。頑張っていれば「褒め」、もっと頑張れるのであれば「叱る」というための「頑張っているかどうか」がわかるのです。そのことの質と量がわかっているからこそ「叱る」「褒める」という評価ができるのです。そして、それが「看られている」「評価がわかる」という裏返しとなり、モチベーションと育成になるのです。

わかる→看られる・評価できる→褒める・叱る→褒められる・叱られる→看られている・評価される→頑張れる・育つ

という構図です。

もちろん、これは育成だけに通じることではありません。物事の「効率」にもつながります。どれくらいの質と量かわかっているからこそ、自分でするのか他人にしてもらうのか、あるいはどの程度任せるのか、アウトソーシングするのか、つまりはどういう仕分けが一番効率的なのかを天秤にかけることができるのです。また「感謝」にもつながります。どれくらいの質と量かわかっているからこそ、他人にしてもらったときに感謝できるのです。
posted by 奥田圭太 at 23:31| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム:言葉津々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

死の喪失

大切な人が亡くなるととても大きな喪失感を感じると思います。あるいは、大きな喪失感を感じてその人がいかに自分にとって大切であったかを感じると思います。

他人の死による喪失感は一体どこから生まれてくるのか。

その多くは「思い出の喪失」といえるのではないでしょうか。思い出の共有者が不在になるということは、その思い出の事実性を訴える方法がなくなるということ、つまりはその思い出自体が社会とのつながりを失い、完全に内省化されるということです。思い出が事実としての輪郭を失い、あたかも夢であったかのようになってしまうのです。

事実というものは一人では社会的に存立しえず、他者を介したり共有するなどの社会とつながるという形で存立します。その事実を自分ひとりしか知らないということは社会にとっては無いもの(夢)と変わらないのです。

自分の中の事実を他人と共有・確認することで確かめ合うことができる。そのときに自分がいたという証がそこに生まれる。その確かめ合う相手を失った事実は自分の中でだけ宙ぶらりんに浮遊している。行き場を失った所在なさげな事実、それは大きな喪失感に違いないでしょう。

他人の死による喪失感のほとんどは、こういった自分の中の自分の何かが喪失することにあると思われます。「その人との何か」という自分の中の何かが喪失することです。故に大切さとは、その人と共有している事実の質・量に比例するのかもしれません。そして、だからこそ人は大切な人と秘密を共有したがるのかもしれません。
posted by 奥田圭太 at 12:04| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム:言葉津々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月24日

諸先輩方の見方

忘年会シーズン、年も暮れになりますと、そういうことがきっかけでたくさんの諸先輩方と接する機会に恵まれます。そして、そういう方々からもこのブログの感想がいただけたりします。

素直に
(1)読んでいただいていることに驚き!恐縮!ものすごいプレッシャー!
(2)自分よりも年齢が上の方々を考えて書いたことがほとんどない
と感じています。

(1)は本当にただただ驚きです。皆さん何もおっしゃらずにいつの間にかお読みいただいていたようです。(2)はまさにその裏返しで、全くそういう諸先輩方に読んでいただくことを思いもしていなかった現実です。「京都発!!勉強会!!」もあることからいつの間にか同世代、あるいはその下の世代に目が行っていたようです。

こういうきっかけで諸先輩方のお言葉が聞けて、新たな視点を意識できるようになったと思います。「言葉(言い回し)が違う」というのは私が日頃違う局面で使う言葉ですが、そういうご感想も頂きました。一方でご存じなかった私の取組みに共感してくださる方も増えました。「京都発!!勉強会!!」のテーマが意外にも諸先輩の中でも参加したいと思っていただけるものであったり。

今までのスタイル(多くは誰かへの手紙)を変えるつもりはありませんが、もう少し意識して広く発信していく姿勢、多くの方々にご覧いただいていることへの感謝、一方でだからこそ言葉にも注意したい、と思うのでした。
posted by 奥田圭太 at 23:30| Comment(0) | TrackBack(0) | ページのこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月23日

第5回カクテルコンペティション

業務連絡。只今無事帰宅しました。最後までお付き合いいただいた方、明日も10時半から頑張ってください。

今日は、とあるカクテルコンペティションに急きょお招きいただき、そのあとはついさっきまでそこでご一緒だった方々とダーツ大会をしておりました。最後決めたかったな〜、という悔しい話はさておきまして、カクテルコンペティションの空間は非常に楽しいひとときでした。

そのカクテルコンペティションは東は東京、西は福岡までの5人のバーテンダーさんたちによる共通お題のオリジナルカクテルコンテストです。お題は2種あったのですが、よく考えるな〜と感心しきりの趣向が凝らされていました。会場参加者全員で投票したのですが、私が一番カクテルを作っていただいているバーテンダーさんは惜しくも僅差の2位でした。今度はお店に行って、いただこうと思います。

もちろんコンペティションとしても面白かったのですが、そこに集まる面々が本当にたのしうございました。芸舞妓さんもたくさん来られていたのですが、その中に私がずっとお会いしたかった映画「はんなり」(詳しくは→コチラ)にご出演いただいている芸妓さんもおられたのです。思わず緊張してしまいましたが、会終了後にゆっくりお話しする機会をいただけました。私の感激以上に感激を頂いて本当に幸せでした。まさにお会いできて良かったと双方が心から言えた感じがします。映画「はんなり」の中でも素敵ですが、実物はさらに素敵なオーラと反面のとっつきやすさで幸せな気分にしていただけます。

今日は日頃のご縁の中で、お会いしたかった方々(何度かお会いしている方も多いですが)と遊び心満載で時間を過ごさせていただきました。そこにまた、思いもしていないお会いしたかった方々が数珠繋ぎのように現れてきた感じです。つながるものはつながっていると毎度のように感じています。そのあとのダーツ大会も遊んでみたかった人とずっと遊ばせてもらった感じです。

珍しく写真をたくさん撮りました。なんとなくその空間を残したい気分だったのでしょう。何度も言いますが、最後までお付き合いいただいた私が最も一度本気で遊んでみたかった方、心から感謝しております。
posted by 奥田圭太 at 04:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 会社の出来事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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