2006年11月05日

物事は立体だ!

物事は人間が介するかぎり立体である。

というのが私の持論です。一方的にしか介さないものはコミュニケーションの断絶であり、それは狂気であります。物事は、人間が双方向的に介することにより立体的になるのです。それだけに物事は一問一答で収まるものや0か1かのデジタルではなく、幾層にも多重構造化していけますしその全体を知り尽くすことはとても難しいのです。ですが、だからこそ面白いのです。

わかりやすい事象が喧嘩です。

喧嘩は見解の相違から起こります。コミュニケーションの断絶が起こることで一方的な主張となり、それは物事の本質を覆い隠し狂気と化します。喧嘩の原因は、どちらかが100%と悪いというものではなく、相違というズレから起こるだけなのです。ただし、それぞれの見解もまた多重構造となっており、必ずしも双方に綺麗な理解を生むわけではありません。ですが、そこで諦めてコミュニケーションを断絶したときに喧嘩は収束ではなく、狂気として爆発します。

喧嘩の収束は、相違というズレを認め、そのズレを双方が理解しようとすることにあります。0か1の答えを出していくのではなく、双方の見解を一定量認めることにあるのです。その中で多重構造を理解していき、どこかを許し合い、自分にも原因があるとお互いが気づくのです。そのとき、物事は立体として浮かび上がります。

このことはあらゆる事象に当てはまります。全てのことは人間を介したときに見解というものになっていきます。そして複数の人間が介することでそれはどんどん多重構造化していくのです。そのことを理解した上で、自分以外の見解を吸収していくことで、物事は立体として浮かび上がるのです。

立体として浮かび上がった物事はおもしろく、美しいものです。

今から徹夜で私の苦手とする、バリュークリエイトが基本は請け負わない資料作成を徹夜で行います。その資料にはこの考えがしっかり反映されるはずです。
posted by 奥田圭太 at 22:18| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム:言葉津々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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